GAME OF SECRET


   ■2■


 遊戯が海馬家の車に送られて帰宅すると、すでに日付が変わっていた。
「あーあ、今日はホント参ったね〜。おやすみ、もう一人のボク」
 遊戯はベッドに入り彼の返事を待つ。
 いつもなら彼が現れ「おやすみ」と返してくれるのだが、反応が無い。
(…もう寝ちゃったのかな…。でも、海馬くん家から帰る前変だったし……)
 遊戯が海馬と「ゲーム」の約束をした時、彼は急に消えてしまった。その時の表情は今まで見た事がない物だった。
「……怒ってるの? もう一人のボク……」
 彼はやめろと言っていたのに遊戯は聞かなかった。お互いが別の人間だと分かってからは、何でも二人で相談すると約束したにも関わらず。
 見放された子犬のように遊戯は萎れる。
「もう一人のボク、怒ってるんなら謝るから出てきてよ。それとも……話もしたくないくらいボクの事嫌いになった?」
『相棒を嫌いになんか、なるわけないぜ!』
 すぐ慌てた彼の声が返ってきた。しかし、彼の姿は現実世界に現れない。
 遊戯はベッドに横たわると、目を閉じ意識を心の奥へ沈み込ませた。

 お互いの心の部屋への通り道、もしくは広場とも言える闇の中、彼は待っていた。
『……相棒は海馬がゲームに勝ったら、ホントに海馬の恋人になるのか?』
『なるわけないじゃん。どうせ明日になったら忘れてるよ。海馬くん酔ってたし』
 あっけらかんと返す遊戯に彼は眉根を寄せた。酔っぱらい相手に本気だったくせにと意地悪な気持ちになってしまう。
『相棒は何で海馬の「友達」に拘ってるんだ? 友達ならいるじゃないか。城之内くんに杏子に、本田くんや獏良くんや……御伽だって』
『……そうだよね。何でだろう…』
 分からないと本気で思っている遊戯の姿に、彼は話を終わらせる事にした。ここで下手に遊戯を追いつめるとやぶ蛇になりそうだ。
『とにかくもう寝ようぜ。オレは怒ってたんじゃなくて、これからの事が心配で気付かなかったんだぜ。相棒を無視したみたいで悪かったぜ』
『謝らないで、もう一人のボク。ボクの方こそ君に余計な心配かけちゃってごめん。「ゲーム」なら大丈夫。仮に覚えてたって一ヶ月も出来っこないって!』
 遊戯は仲直りのつもりで彼の手を握った。現実世界では彼に触れる事は出来ない。こうして彼の温もりを感じると安心する。
 彼は間違いなくここにいる。
『君はボクにとって、すごく特別で大切な人だ。…大好きだ』
 自分の言った言葉に照れて、遊戯は頬を染めた。
『…オレも、大好きだぜ。相棒…』
 彼は秘めた想いを込めて、強く握り返した。


 翌朝遊戯はいつもより早く家を出た。英語の宿題があった事を起きてから思い出したのだ。少しでも早く行って杏子か誰かにノートを写させてもらわなければ、正座で授業時間を過ごす羽目になる。正座も苦手だが一人だけ座らされたら恥ずかしい。

「あれ…?」
 教室前の廊下にクラスメイトが数人たむろっていた。教室に入りたいのに入れないらしい。
「おはよー。どうしたの?」
 一番手前にいた井沢に声をかけると、彼は何とも言えぬ顔で教室の中を指さした。
 そこには外国映画のマフィア然とした男達がいた。奥に海馬がいるらしく声が聞こえる。
(うわ、ホントに来たよ…)
 海馬だけならまだしも、全身黒ずくめの部外者がいては普通の生徒が躊躇うのも当然だ。
 クラスメイトに「心配いらないから」と声をかけ、遊戯は海馬に近付いた。
「おはよー海馬くん。昨夜の話、本気だったんだ」
「…オレは何時も本気だ」
「それはいいけど、この人達がいるからみんな怖がって教室に入れないみたいだよ?」
 遊戯の言葉に状況を理解した海馬は小さく舌打ちする。
「不都合があった場合は磯野に回せ。後で改めて連絡する」
 男達は海馬の言葉で速やかに移動した。

 遊戯が男達の後ろ姿を見送っている間に、海馬はノートPCをジュラルミンケースから取り出していた。
「……もしかして、学校で仕事するつもり?」
「貴様は真面目に勉強しろとは言わなかったぞ」
「それは……そうだけど」
 海馬は素早く正確な文字を打ち込んでいく。遊戯はその指の動きに感心して、ついじっと見てしまった。
「…貴様、何時もこの時間に来るのか?」
 珍しい事に海馬が話を振ってきた。
「ううん。今日は英語の宿題見せてもらおうと思って」
「宿題?」
「これ、ここの長文の訳」
 教科書を開けてみせると、海馬は大げさにため息を吐いた。
「ノートを貸してみろ」
「まさかやってくれるの?」
 素直に渡すと海馬はさらさら英訳を書いた。右肩上がりだがキレイな文字だった。
「すごーい。辞書なくても分かるんだー。ありがとう、助かったぜー」
 遊戯は純粋に感謝の声を出す。
 海馬は遊戯の耳元に顔を寄せると、低く囁いた。
「オレの恋人になれば、この先宿題ごときで早起きしなくてもすむぞ?」
「…学校でその話は止めようよ。誰かに聞かれたら変に思われるだろ」
 フンと海馬は鼻先で笑う。
「世間体が気になるのか。人目を気にしてやりたい事を我慢するなど、つまらん人生だと思わんのか?」
「海馬くんはもう少し人目を気にした方がいいぜー」
 憎まれ口を返しながらも遊戯は浮かれていた。
(これこれ、こーゆー何でもない日常の付き合いが、ボクらには足りなかったんだよー。
(この分ならそのうち友達になれるかも…!)
 あくまで恋愛方向に発展する気のない遊戯だった。
 しかし、どんな方向でも海馬と親密になるにはある事を避けては通れない。
 一番の問題は――。
「おーっす、遊戯! はえーなー! 
「…海馬ぁ? 何でお前がいるんだよ!」
「学生が学校に来て問題があるのか?」
「大ありだ! まだ昨日の決着がついてねーぜ!」
 海馬と遊戯の親友城之内。二人は誰もが認める犬猿の間柄だった。

「ケンカは止めてよ、城之内くん。昨日の事ならボクはもう気にしてないんだから」
「…だってよー…。今だって虐められてたんじゃねーのか?」
「違うよ。海馬くんは英語の宿題やってくれたんだ。城之内くん宿題やった? ボクのノート見る?」
 気を逸らそうと遊戯はノートを差し出したが、城之内は海馬の文字を見て低く呻いた。
「……やってねーけど、海馬の答えなんか写したくねー」
「遊戯、負け犬などにオレの好意を安売りするな」
 ほぼ同時に海馬の声が重なった。
「なーにが好意だ。てめー遊戯に恩を売って、あとで無理難題ふっかけるつもりだな?」
「下衆な発想だ。育ちが知れるぞ」
「うっせー! てめーに言われる筋合いねー!」
「ああっもう、やめてよ〜〜」
 海馬に殴りかからんばかりの城之内を、遊戯は小さな体で必死に押し止める。
 クラスメイトは遠巻きに眺めるばかりで誰も手を貸そうとはしてくれない。二人のケンカに巻き込まれてとばっちりを食ったのは、一度や二度でないからだ。
 このままでは窓ガラスが割れる騒ぎになってもおかしくない。
(どうしよ、どうしよ〜〜っ)
「お前ら朝から元気余ってんな〜。階段の所まで声が聞こえてたぞー」
「本田くん! 杏子!」
 本田はあくび混じりで教室に入ってきた。本田と同じバスで来たらしい杏子は、「またか」とうんざりした顔だ。
「城之内と言い争ってる時点で、海馬くんのレベルもかなり低いわね」
 杏子の容赦ない言葉に海馬の睨む矛先が変わる。
「貴様…」
「ちょっと待てぇ! 「オレと言い争ってる時点で」って、どういう意味だ、杏子」
「城之内くん、頭わるーい」
 いつの間にやら獏良がひょっこり人だかりに交じっていた。
 その獏良の肩を御伽が背後からポンポンとたたく。
「獏良くん、城之内は頭が悪いんじゃないよ。ちょっと弱いだけなのさ」
「まぁ、弱いというよりアホなんだがなー」
 すかさず本田が追い打ちをかけた。
「あーそうかよ、オレばっか悪者扱いかよ。てめーらもうダチでも何でもねー!」
 気分を害した城之内は海馬から離れた自分の席に着く。
(良かった…。さすがみんな慣れてるよ)
 安堵した教室内の空気と一緒に、遊戯もほっとした。
 城之内いじりで二人の対立を回避させられるのは、いつものメンバーならではだ。皆にコケにされて拗ねたりむくれたりの城之内も、本気ではない。
 宿題のノートを杏子が城之内に見せる話で一連の騒ぎは治まりつつあった。
「!」
 人の視線がそちらに向いている隙をついて、海馬は遊戯の手を握ってきた。
「貴様がオレの恋人になった時は、あのうるさい犬の無駄吠えもさぞ心地いい事だろう」
「あっ」
 思わせぶりに手のひらを撫でられて、咄嗟に振り払う。
 海馬は涼しい顔で手元のキーボードを叩き出す。
(ボクは恋人になんか…)
 初めて触れた海馬の指は冷たかった。それなのに、遊戯の手はいつまでも熱かった。
 海馬の指にときめいた一瞬を早く忘れたいと、遊戯はパズルを強く握った。


 HRまでに次々登校してきたクラスメイトは、海馬の姿を見て一人残らず一瞬固まった。二年になってからHR前に海馬がいるなど初めてなのだ。その上海馬が現れる時は必ず城之内と諍いが起きる。多くの者が不安を感じても仕方のない事だった。
 やがて時間が経つにつれ、教室の中は重い空気が漂い始めた。
 いつ城之内と海馬が騒ぎになるのか気が気でない上に、海馬は一向に帰る気配がないからだ。
 海馬は授業と関係ない自前の仕事をしていた。しかも携帯を使うため、授業中にも関わらず何度も教室を出入りする。そのたび皆はイライラし、注意をしない教師を不甲斐なく思った。
 しかし、海馬が学校側へ自分の行動の便宜を図らせている事ぐらいは、嫌でも気付いていた。
 公立の高校で一人の生徒がこれほど特別扱いされるなど、まずあり得ない。
 だが、彼は海馬コーポレーションの社長だった。
 一般にKCと略されるその一流企業は、本社及び関連会社を含めて、童実野町に多大な恩恵を授けている。童実野町がKC城下町と揶揄される謂われはそこにあった。
 海馬の行動を許す事は資本主義の力に屈したも同然だが、「長い物には巻かれろ」という現実でもある。
 海馬自身は気にしない事に努めればひとまず害はない。
 
 「ゲーム」一日目。
 午前中の授業だけで、海馬は何をしていてもいい、むしろ咎めたりしてはいけない存在として、クラスで認定された。


「うおー腹減ったー! メシメシー!」
 四時間目が終わった途端大声を出す城之内に、緊張疲れのクラスメイトから笑いが零れた。
「今日は肩がこりまくったぜー!」
 城之内は単に気持ちを吐露しただけで海馬への当てつけという気はなかった。だが、「堂々と海馬に文句を言えるヤツ」と、改めて城之内に一目置いた者もいた。
「城之内、今日はどうすんだ?」
「天気もいいし、やっぱ屋上だな〜」
「早く行かないと場所無くなるね。最近人多いもんね」
 この季節の屋上は大人気昼食スポットなのだ。
 皆との会話に加わりつつも、遊戯は海馬が気になりちらちら様子を窺ってしまう。本当は海馬を食事に誘うつもりだった。
 だが、朝の件では城之内に退いてもらった形だし、海馬がすんなり仲間の輪に入るとも思えない。
 海馬はまだ仕事を続けていた。昼食を取ろうとする素振りもない。
 気がかりではあったが、遊戯は皆と一緒に教室を出た。


 遊戯は弁当をかき込むとトイレを口実に一人教室へ戻った。
 いつもなら女子の何グループかが机を合わせて食べているのに、海馬しかいなかった。 
 海馬と一緒が嫌なのは分かったが、小さい頃の自分と姿がだぶって遊戯は悲しくなった。当の海馬はそんな事は一片たりとも気にしていないだろうが。
「…海馬くん、お昼食べた?」
「まだだ」
 海馬は遊戯に視線を向けずモニターを見詰めている。
「食べないの? 時間が惜しくても食べないと、逆に効率悪いんだよ?」
「……貴様もいい性格をしているな。心配していると思わせてオレを罠に嵌めようとは」
「え?」
 きょとんとした遊戯の気配に海馬は苦笑した。
「自分で決めたくせに覚えてないのか? 貴様は一緒に食べろと言ったではないか。貴様と別に食べたのではルール違反だろう」
 そう言われて、遊戯は思い出した。
(確かに、「お昼もボクと一緒に食べなきゃダメ」って、言ったような…)
「じゃ、じゃあ、今日みたいにボクが先に食べちゃった時は…どうなるの…」
「一食ぐらい食わんでも死ぬ事はない」
「ダメだよ食べなきゃ! あれは無しにするから、ね? 海馬くん!」
 慌てる遊戯に海馬はやっと視線を向けた。
 遊戯は海馬の日本人離れしたアイスブルーの瞳で睨まれる。
「貴様の出した条件でクリアするために、オレは一ヶ月先までの予定を昨夜に組み直したのだ。ルール変更は貴様の負けだ。それでもいいのか?」
「そんな…」
『相棒、海馬の好きにさせておけばいいぜ。コイツの言う通り死にゃしないぜ』
 端で聞いていたもう一人の遊戯は「昼飯一つでアホらしい」と素っ気ない。
「貴様がいると気が散る。視界に入るな」
(ボクはただ、海馬くんの体を心配してるだけなのに…)
 遊戯の心に反発心という炎がめらめら燃え上がった。
「ああそう、分かりました。勝手にすればいいぜ!」


(人の事好きだとか言っといて、なんだよあの態度)
 ぷりぷり怒る遊戯に、もう一人の遊戯は低い声で話かける。
『相棒、これを機に海馬には関わらないでくれ。海馬と城之内くんのケンカの発端は、いつも相棒がらみなんだぜ?それでなくとも城之内くんは先生に目を付けられている。海馬なんかとのケンカで停学にでもなったら、ヤバいぜ』
 遊戯は何か反論しようとしたが、少なくとも今日のケンカは自分に原因がないとは言えない。海馬の態度にも苛ついていたので、「いいよ」と答えた。
 もう1人の遊戯は念を押した。
『約束だぜ、相棒』