GAME OF SECRET


    ■1■

 その日の六時間目、遊戯のクラスは自習だった。担当教師が急病で、プリントなどは用意出来なかったらしい。「隣のクラスの迷惑にならなければ何をしていてもいい」と言う事なので、皆それぞれ降ってわいた時間を満喫していた。
 遊戯は城之内とカードを並べながら、デュエルにおける戦術を話し合っていた。時々城之内の声が大きくて、杏子に注意されたりした。
 そんなまったりした空気の中、突然教室の戸が開けられた。皆何事かと音の方向へ注目する。
 そこにいたのは海馬だった。
 様子を見に来た教師ではないと安心し、海馬が来るまでの行動に戻る者もいれば、彼の登校を訝しみ緊張る者もいた。
 遊戯は後者の側だった。
 ちらりと城之内に視線を戻すと、彼は何事もなかったように話を続けてきた。
 どうやら無視することにしたらしい。
 二人の衝突を心配していた遊戯は、安心して海馬へひらひらと手で合図を送った。
遊戯にとってそれは「久ぶり、元気だった?」を表す挨拶なのだが、海馬はいつも無視して自分の席に着くのが常だった。
 だが、この日の海馬は遊戯に向かって歩いてきた。
「んだぁ? 何か用かよ」
 海馬がケンカを売りに来たと思った城之内は、威嚇のため立ち上がる。
 海馬は城之内を無視し、あたふたする遊戯に声をかけた。
「遊戯、オレのモノになれ」
 さほど大きな声ではなかったが、耳を澄まし様子を窺っていた者達はざわめいた。
 呆気にとられて声も出ない遊戯を海馬は問いつめる。
「遊戯、オレのモノになるのか、ならないのか、今すぐ返事をしろ」
「えええ?」
「てめえ! 遊戯を物とか言ってんじゃねーぞ!」
 城之内が掴みかかる。
 海馬はその手を払いのけた。
「うるさい。貴様には関係ない事だ」
「遊戯はオレの親友だぞ! お前なんか嫌われ者のくせに、慣れ慣れしーんだよ!」
「ちょ、ちょっと城之内、静かにしてよ」
 固唾をのんで見守っていた杏子が止めに入る。
「か、海馬くん、「物」ってどういう意味? ボク、「友達」になら海馬くんと…」
 最後まで言えずもじもじする遊戯を、海馬はばっさり切り捨てた。
「モノは物で友達などではない。そもそもオレは「友達」などいらん!」
「てめー! もう勘弁ならねー!」
「やめろ城之内。海馬の挑発に乗るな」
 本田が城之内を羽交い締めにする。その動きが遅ければ今頃間違いなく乱闘騒ぎだ。
 二人のやりとりにクラス内のざわめきが大きくなった。
 杏子はなるべく穏便に済ませようと立ち上がる。
「海馬くんも、一応自習中なんだから静かにしてよ。ケンカなんてみんなに迷惑よ」
 海馬は強い語気で吐き捨てる。
「貴様らは口出しするな! オレは遊戯と話しておるのだ!」
「てめえのどこが会話してるっつーんだよ!」
「弱い犬ほど吠えるとは、言ったものだな」
「オレを犬って言うな――!」
「も、もう止めてよ――!」
 遊戯の必死な叫びで、やっと二人は罵り合うのを止めた。
 クラスメイトからの視線に無言の非難を感じて、遊戯は泣きたくなる。まるで遊戯が騒ぎを起こしたかのようだ。
(せっかくみんな楽しくやってたのに……。突然やって来てメチャメチャにしやがって…!)
 真に恐ろしいのは普段温厚な人間が怒った時だという。今の遊戯も怒りからくる冷たいオーラが漂っていた。
「海馬くん、ボク、物じゃないから。君がどういうつもりで言ったのか分かんないけど、ボクは君の「物」になんか、死んでも、ならないから」
 遊戯は海馬を睨みつけ、きっぱり言い切った。押し殺した低い声は、普段の遊戯からはイメージ出来ない物だった。
クラスメイトの多くは別人がいる気がして、思わず息を飲み込んだ。
遊戯の返事を聞いた海馬は無言で踵を返すと、そのまま教室を出ていった。
「……何しに来たんだ、あいつ…」
 城之内が苦々しく呟いた。それに明確な答えを示す声は誰からも無かった。
 再び和やかな時間が戻ってきても、遊戯の気持ちは沈んだままだった。



 放課後、遊戯は城之内と校門で別れた。
 城之内は学校の後、飲食店でバイトをしている。彼がシフトの日はそのままバス停に向かう事が多かった。
 元気のない遊戯を励ますように、もう一人の遊戯が声を掛けてくる。
『相棒、ゲーセンでも行って憂さ晴らししないか?』
「そうだねー…」
 だが、遊戯の足は方向を変えない。
「…海馬くんは何であんな事言い出したんだと思う?」
 問いかけると、もう一人の遊戯は大げさに肩をすくめた。
『分かるわけ無いぜ。あいつの言動を真に受けてたら、ボロボロになるぜ? 相棒』
「…だよねぇ」
 とはいえ、海馬の目的が分からないのは何とも気持ち悪い。
 鬱々とした気分で遊戯が歩道を歩いていると、隣の車道を黒塗りの車が追い越して止まった。
『相棒、替わってくれ』
 もう一人の遊戯が緊張するのも無理はない。遊戯もこの手の外車を見ると過去の嫌な事を思い出す。しかも車から降りてきたのは、海馬の部下である黒服の男達だった。
「武藤遊戯様ですね。瀬人様から屋敷にお招きするよう言付かっております。恐れ入りますが、これから少々お時間頂けませんでしょうか?」
 態度と言葉は丁寧だが、遊戯が「嫌だ」と言えば拉致られるかもしれない。
 遊戯は逆らわず車に乗った。
『相棒!』
「大丈夫、この際海馬くんには何のつもりかハッキリ聞きたいし、どうしょうもなかったら――君が助けてくれるでしょ?」
『もちろんだぜ!』
 遊戯の小さな呟きに彼は力強く答えた。




 海馬邸で遊戯を待っていたのはモクバだった。海馬は人を招いておきながら仕事で遅くなると言う。
 モクバとも過去には色々あったが、今は海馬より遙かに友好的な関係になっていた。海馬の入院中に遊戯が何度も見舞いに行った事や、ペガサスの城で兄弟を助けた経緯があるためだ。



「兄様が急に呼びつけたせめてもの詫びだぜい」
 そう言われては断る理由もないので夕食をご馳走になり、家に電話を入れた後は、モクバとゲームなどしてのんびり海馬の帰りを待った。
 しかし、十時を過ぎると遊戯は焦りだした。明日も学校があるし、母親は遊戯が帰るまで何時になろうと起きて待っているに違いない。
「ボクそろそろ帰るよ」
「兄様はもうすぐ帰ってくるぜい! もうちょっと、もうちょっとだけ、いいだろ? 帰りはちゃんと車で送らせるから。なんなら泊まったっていいんだぜい!」
 海馬が帰るまで足止めさせるのが役目とばかりに、モクバは必死に引きとめる。
『帰ろうぜ相棒。このままじゃ明日になるぜ』
『…うん、でも…』
 今にも泣きそうな顔をするモクバを振り切るのは少し気が引ける。それに聞かずにはいられなかった。
「モクバくん。海馬くんていつもこんなに遅いの?」
「…兄様は今、大事なプロジェクトを抱えてて……オレだって出来ることがあれば手伝いたいけど……、でも…」
 言葉に詰まったモクバの瞳に涙が潤んで遊戯は慌てた。
 海馬が帰宅するまでの時間、毎日モクバは一人なのかと気になったのだが、触れてはいけない事だったようだ。
 モクバは泣かなかったが遊戯はますます帰り辛くなった。
 結局海馬が帰宅したのはそれから一時間後だった。




「兄様お帰りなさい!」
「ただいま」
 玄関ホールへ迎えに出た弟を抱きしめる海馬は、昼間と違いスーツだった。
 初めて見る海馬の姿に遊戯は知らず胸が高鳴った。
(かっこいい…)
 待たされた事も忘れて見とれる遊戯に、海馬は今まで聞いた事のない言葉を口にした。
「遅くなってすまなかった」
『かかかか、海馬くんが謝った…! き、き、聞いた? もう一人のボク!』
『あ、ああ! 聞こえたぜ、相棒』
 二人の遊戯は呆然とお互いの顔を見合った。




 海馬の部屋へ通された遊戯は、新しく入れられたお茶を目の前に落ち着かなかった。
 海馬は遊戯と向かい合わせのソファーに、上着を脱ぎネクタイを緩めた格好で深く座っている。
 見慣れない姿が知らない人のようで、どうしても緊張してしまう。
「オレのモノになれ、遊戯」
 唐突で横柄な喋り方はいつもの海馬だった。
 少し気楽になった遊戯は、学校では聞きそびれていた疑問を切り出した。
「何でボクが海馬くんの「物」にならなきゃいけないんだよ」
「貴様がオレの「モノ」になれば、オレは貴様を自由に出来るだろう?」
「はぁ?」
「……貴様を好きだと言ってるのだ」
「……。え、え――?」
(す、すす、好きって、ななな、何言ってんの? この人)
 海馬の口からあり得ない言葉第二弾を聞いて、遊戯は激しく動揺した。
 その瞬間、もう一人の遊戯が主導権を握り二人は入れ替わった。
「海馬、オレ達はそんな冗談を聞くためにお前を待ってたんじゃないぜ。いいか、これ以上変な言動で相棒を困らせるな! 後、いちいち城之内くんにケンカを売るな! 分かったな!」
「オレが招いたのはさっきまでの遊戯だ。貴様ではない。とっとと替われ」
「嫌だぜ。オレの大事な相棒は渡さないぜ」
 彼が「オレの」に力を入れると、海馬は舌打ちした。
「……貴様も、か…」
「残念だったな!」
『……何の話してるの?』
 冷静になりつつも、遊戯は二人の会話の意味が分からない。
 遊戯は同性同士に恋愛感情が起こる事を、知識として知ってはいても自分にはあり得ないと思っている。
 恋愛は異性とするもの。同性とは友情を育むべき。遊戯にとってそれが普通で、当たり前の事なのだ。
 それを一番身近で分かっているからこそ、彼は遊戯への特別な感情を悟られないようにしてきた。
昼間の出来事も遊戯に分からない振りをして見せたが、海馬のアプローチの意味は同類として気付いていた。
「オレがいる以上、相棒に変なマネはさせないぜ」
 彼は宣言して立ち上がる。
 海馬は面白くないという顔をしたがそれ以上の反応はなかった。
『ちょ、なに帰ろうとしてんだよ、もう一人のボク!』
「用は終わったぜ。早く帰らないとママさんが心配するぜ」
『君と海馬くんだけで済まされてもボクには分かんないぜ。替わってよ』
「だめだ!」
 二人はしばらく言い争いになった。
 海馬から見ると、彼は何もない空間に向かって独り言を言っているにすぎない。
「……」
 海馬はずっと、遊戯の姿を興味深く見つめていた。
 



 どうにか入れ替わり、遊戯はもう一度ソファーに座った。
 待たせていた間に海馬は半目で体も微妙に傾いていた。仕事疲れかとも思ったが、微かにアルコールの匂いがする。
「……海馬くん酔ってるの?」
「……少しだけだ」
 遊戯はやれやれとため息をついた。きっと酔った勢いで笑えない冗談を言ってるのだ。
「酔っぱらいの君に言っても忘れられちゃうかもしれないけど、もう一回言うよ? ボクは海馬くんの物にはなりません」
「…どうすればオレのモノになるのだ」
「あのさぁ、君おかしいよ? 物扱いされたい人間なんかいるわけないぜー」
「それは貴様が世の中をよく知らんからだ。今日もオレの周りには、オレのモノになりたいと下心見え見えな態度の女が大勢いたぞ?」
「海馬くんて頭悪い? 女の人が寄ってくるのは、君がお金持ちで格好いいからだろ? みんな「物」じゃなくて君の「恋人」になりたいんだと思うぜ」
「……恋人…」
 海馬はそんな事思いもしなかったという表情だ。遊戯は呆れを通り越してかわいいと思ってしまった。
「では遊戯、オレの恋人になれ」
「だから〜〜」
 遊戯はぐったりソファーに沈み込む。酔っぱらいに真面目な話をしようとしたのが間違いだ。
「それは好きな女の人に言うことだろ〜」
 遊戯は海馬から好きだと言われて、ビックリはしたが嬉しかった。カードやゲームならいざ知らず、海馬が他人に好意を示す事など滅多にないのだから。
「貴様こそ頭が悪いな。オレはさっき貴様が好きだと言ったではないか」
「そそそ、そんなの信じられないよ! 何? 今度は何を企んでるの?」
 一度目程ではないが、海馬から聞き慣れない言葉を言われると、やはり冷静でいられない。
 海馬は執拗だった。
「どうすれば信じる」
「信じるって…日頃の行いが大切だろ。学校だってたまにしか来ないし、来たってボクの事無視してばっかだし、デュエルではもう一人のボクしか見てないし…」
「…では学校へ行って貴様とデュエルをすればいいのだな」
「そうじゃないよ! そもそも出来無い事ばっか言うなよな!」
 遊戯は疲労で口調がきつくなる。
「大事なプロジェクトがあるんだろ? モクバくんに聞いてるよ? 今日だって今まで仕事だったくせに、毎日学校に来られる訳ないだろ! そんな暇があるんなら早く帰ってモクバくんといてあげれば? この酔っぱらい!」
「貴様こそ酔ってるのか? オレは不可能な事は口にしない。学校に行くなど、簡単だ」
 もはや売り言葉に買い言葉。
「へぇ〜、じゃあこれから一ヶ月毎日来てみろよ。ちょっと来るだけじゃダメだぜ? ちゃんと朝のHRから終わりのSHRまで学校にいて、体育も掃除もやるんだよ? お昼もボクと一緒に食べなきゃダメ! 遅刻も早退も認めないからね!」 
 一気にまくし立てた遊戯は海馬が怒り出すだろうと思った。身に危険を感じて鎖をしっかりと掴み直す。
 入れ替わる時にもう一人の遊戯が出した妥協案は、「パズルを絶対盗られないようにしてくれ」という事だったのだ。
 だが、海馬はその場で不敵に笑っただけだった。
「……遊戯、ゲームをするか? オレが一ヶ月学校に行けばオレの勝ち。貴様はオレの恋人になれ。オレが貴様の言った条件を一つでも満たせなかった時は、貴様の言う事を何でも一つ叶えてやる」
 バカバカしいと思いながらも、遊戯は最後の言葉に引きつけられた。
「……ホントに何でもボクの言う事聞いてくれるの?」
(何でもいいんなら、ボクは――)
『相棒やめろ! これは海馬の罠だ!』
 傍らの遊戯が懸命に訴えるが今の遊戯には聞こえない。
「じゃあ海馬くん、君がゲームに負けたらボクの「友達」になってよ!」
 余裕の態度でふんぞり返っていた海馬の眉間に深い皺が入る。海馬は「友達」「友情」などの言葉が大嫌いなのだ。
「……まぁ、良かろう。オレが勝つのは分かっておるからな」
「約束したからね!」
 海馬の気が変わらないうちにと、遊戯は念押しする。
「貴様こそ忘れるなよ、遊戯」
 海馬は楽しそうに目を細めた。
 一瞬、遊戯は一ヶ月では短すぎたかと不安になった。
「い、一ヶ月って言っても、学校に来た日を合わせて一ヶ月だぜ? 休みの日は数えないよ!」
「…では、明日から始めると最終日は、来月十七日だな」
 何故カレンダーを見ないでそんな事が分かるのか、遊戯は怖くなった。実際後で確かめると三十一日目がその日だった。
 海馬は勝利を確信したのか、満足そうに笑った。
「これで貴様は、オレのモノだ」



   
■と言う事で、全16回をめどに不定期に続けていく予定です。海表と闇表メインの今更なベタネタなのですが、それでも自分なりの萌を伝えられたらと思います。