それが望みなら




■5

カーテンを引かれた大きな窓からは青く高い空が見える。
それなのに、部屋の中は夕暮れのように暗かった。

「――したんだって」

どこからか人事のようにぶっきらぼうで突き放した声がする。
未だ大人になりきれていない声には何故か、耳なじみがあった。

「……それは、おめでとうございます」

低く擦れていながら艶っぽい男の声。これはよく知っている人間の声に似ていた。

「――しかしてないのに、よっぽど運が悪いとしか思えない。
いや、――にとっては良かったんだろうけどさ。――が出来て」

誰だか分からない声が苛立っている。
その男の声を聞いているとツナは底知れない不安で恐ろしくなった。

(どうしてオレはこんな所にいるんだろう……)

洋風の大きな窓にどっしりした重厚な家具の部屋は、昔TVで観た外国の城の中に似ている。
暗いと感じる部屋だというのにそんな所だけは妙によく分かるのだ。
誰が彼と話しているのかも知れないのに。

「……どうしてオレを責めないの? もう、君にとってオレは非難する程もない存在なのかな?」
「そんなこと、ありえません」

自嘲気味な声を否定するやさしい響き。ああ、とツナは目を凝らす。

(やっぱりそうだ。獄寺君だ)

暗い部屋の中にやっと人影を見つけることが出来た。
黒いスーツを着こなした今よりもずっと大人びた獄寺隼人の姿。
長かった髪は不揃いに切られて耳が見える。
その耳たぶには瞳と同じ色の石が付いたピアスと銀のイヤーカフス。
獄寺はもう、立派な青年だった。
元々、イタリアの血を多く持つ獄寺は黙って動かないでいれば作り物のように整った容姿をしていた。
成長した彼はいっそう麗しく精悍ですらある。きっと中学時代以上に異性の胸をときめかせているのだろう。
病気で長く持って一年のはずの獄寺が成長した姿は、ツナに希望を与えてくれた。
これが夢であっても、空想よりリアルに感じられる獄寺の姿が嬉しかった。

(大人の獄寺君はかっこいいな。でも……悲しそうだ)

「どうして君は……」

獄寺以外の声が聞こえる。
ツナは耳を塞いだ。続きを聞きたくなかった。誰が獄寺と話しているのかも、確かめたくない。
耳を塞ぎ目を閉じていると誰の気配もなくなった。
目を開けても何も見えず、暗闇だけが彼方まで広がるばかりだ。

「死に別れることと、生き別れること、どちらが辛いと思う?」
「え……」

どこからか響いた声に心臓が跳ねる。
ツナはドキドキと高鳴る鼓動の中、得体の知れぬ問いかけを素直に考えた。
獄寺の病気は持って一年。
けれどもし、ツナと離れることを条件に獄寺の命が救われるのなら、迷いなどなかった。

「死に別れる方が、辛い、と思う。……思います。
だって、生き別れなら、どこかでお互い生きているのなら、いつか会えるかもしれない。
会えなくても、どこかで元気でいるって思えば、寂しくても嬉しい。
死んでしまうより、ずっといいもの」
「死に別れた方が諦めがつく。
取り残されてしまっても彼が残してくれた数限りない思い出は自分だけの物だ。
誰にも奪われず大切にしておける。
彼の夢でもあった自分の責任と義務を果たしながら、疲れた時や寂しい時はその思い出を取り出して懐かしむことが出来る。
そうして生きていれば、少なくとも自分以外に悲しい人間を作らなくてすむ。
彼がいない悲しみを堪えきれなくなったら、後を追って身軽になる選択肢だってあるんだ。
生き別れは死ぬより辛い。
身近にいながら二度と触れ合うことを許されない。
視線を交わして微笑むことも、相手を一番愛していると心で想うことも出来ないまま、相手の裏切りを、憎んだ相手の幸福を見せつけられ続けることが、死に別れよりもいいだろうか。
延々と、それこそどちらかが死を迎えるまで、心が苦痛で壊れるまで孤独や嫉妬に苛まれ続けて、自分たち以外も深く傷つけて、それなのに、その方がマシだって言うのか?」

静かな口調は淡々としていながら密かに苛立ちを含んでいる。
ツナは泣きたくなった。
仮定の話だというのに、自分が酷く責められている気がした。

「あなたは誰なんですか。
オレは獄寺君が死ぬくらいなら、苦しくても我慢するから生きていて欲しい。
獄寺君がオレだけに笑ってくれなくなっても、オレ以外に大切な人が出来ても、
側にいられるのなら、心が壊れるまで、い、きて、獄寺君を、見ている方が、いい」

ツナは泣きじゃくり現実では動かせない両手で顔を覆った。
仮定の話なのに、これはきっと夢なのに、悲しくて堪らなかった。

「……オレは獄寺君が死なないですむなら、何だって、する。
何だって、出来る。何だって、したいんだ」
「……それが、お前の望みなのか」

酷く突き放していながら哀れみの籠もった声だった。
そうだと返事をしたくても喉に熱い塊があって言葉にならず、ツナはただ頷いた。
何度も、何度も、頷くしか出来なかった。




「10代目、10代目、大丈夫ですか?」
「……ご…くでら、くん?」

真っ暗な世界で聞き慣れた暖かい声がした。
声ばかりか大きな手のひらが頬を撫でてくれて、ツナは自分が目隠しの包帯からしみ出るほど涙を流していたことを知った。

「怖い夢でもご覧になりましたか?」

柔らかい唇が慰めのように目元や頬に触れてくる。
肌に触れる感触と体温、煙草の匂いのする吐息、間違いなく獄寺は側にいる。
悪夢から目覚められたのだと思うと、夢の中で喉に詰まっていた塊が溶けてあふれ出した。

「……よ、かった。獄寺君がいる」
「はい。ここにいます。10代目のお側に、ずっと」

獄寺はしゃくり上げるツナの頬に何度も口付けて、ツナを安心させる言葉を紡いだ。
しばらくしてツナは落ち着いたが、天啓のように一つのことわりを知った。
それは今わかったものでもなく、むしろ最初から、それが故にツナは獄寺に監禁されているというのに、ツナは今まで以上に実感し恐怖した。
悪夢に泣くだけのツナをいつまでも慰めてくれた獄寺は近いうちに死ぬ。
惜しみない愛情を注いでくれる存在が、日、一日ごとにその命を減らしている。
ツナは絶望し絶叫した。

「いやだあああああああああああああ!」
「10代目っ! しっかりしてください!」
「嫌だ! 死なないで獄寺君! オレを残して死なないで! お願い! お願いだから!」
「10代目落ち着いて下さい、オレはここにいます。10代目のお側にずっと」
「だって君は死ぬんじゃないか! オレを残して、どこかへ行ってしまう。
オレは君がいないと――君がいなくなるなんてイヤだ! 
死なないでしなないでごくでらくん…!」

監禁生活が続くうち、ツナは自分が思うよりもずっと、とっくにおかしくなっていたのかもしれない。
獄寺がいない世界で、獄寺がいないことを当たり前として生きていくなど、想像しただけで耐えられなかった。




涙も声も枯れ果て疲労の末の眠りから目覚めて、ツナは獄寺に告げた。

「獄寺君。獄寺君にお願いがあるんだ。
獄寺君が死ぬ前にオレを殺して。オレはもう君がいない世界でなんか生きていけない。
オレを好きなら、愛してるなら、死ぬ前にオレを殺して。
一人で死んだら許さない。約束してよ……」
「10代目……」

それからは、ツナが獄寺を説得した時の丁度反対の遣り取りが延々続けられた。
けれど、獄寺が根負けし、ツナの願いを叶えると誓ってからは、ツナは以前の落ち着きを取り戻し穏やかな日常を過ごすようになった。




「良かった。これで安心だよ。オレはずっと獄寺君と一緒にいられるんだ。
誰にも邪魔されず遠慮しなくていい、嘘も虚勢も張らずに、君だけを好きでいていいんだ。
……変だね。オレは獄寺君を好きになってから君だけが好きなのに」

「……前にもこんな話をしたような気がする」

「なんだか最近よく思い出せないんだ。
獄寺君が昔飼ってた犬の名前も分からない。
母さんから届いた最後の手紙には何が書かれてあったっけ?」
 
「小さな子どもはあったかいんだよ。
寝顔は天使みたいなんだ。君が眠っている時によく似てる。
可愛い。愛おしい。幸せな気持ち」

「ああ獄寺君。君を愛してる…!」

「……獄寺君どうして泣いてるの?」



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