それが望みなら




■6

「ちゃおっす。元気そうだな獄寺」
 
リボーンを部屋に迎え入れた男は自嘲気味に微笑んだ。

「リボーンさん、お忙しいでしょうに。大丈夫ですよ。オレは昔より健康には気を遣ってるんです。
オレが元気でないと10代目のお世話が出来ませんから」
「……ツナは相変わらずか」

いくつものモニターの中にベッドで横たわるツナの姿を見つけ、リボーンは苦い口調で呟く。
獄寺はテーブルの椅子を引いて立ち話も何ですからと促した。

「今10代目は眠られてますが、会われて行かれますか?」

リボーンは首を振り、獄寺に出されたコーヒーに手を伸ばした。

「……この前の件だが、お前の情報が役に立った。11代目も感謝してたぞ」
「それは光栄です。11代目のご活躍はしょっちゅう耳にします。
まるで自分のことみたいに誇らしい気分になりますよ」
「お前は11代目の親みたいなもんだからな。本当の父親は――その自覚もねえみてえだが」

リボーンの視線の先にいるモニターの中のツナは、目に包帯を巻かれ頬や唇の一部が火傷の痕で引きつれている。
頭部や身体に付けられた電極はすぐ側の医療機器にギザギザの波形を表示し続けていた。

「仕方ありません。10代目は中学生以降の記憶が――、命が助かったのが不思議なくらいの事故でしたから……」
「第一報を聞いた時、オレは暗殺じゃなくて心中だと思ったぞ」
「……」
「ツナは「超直感」を持っていた。いつだってギリギリの所で身の危険を回避した。しかも元々生き汚ねえ。
そんな奴がむざむざ爆弾の仕掛けられた車に乗ったりするか? しかも隣に獄寺、お前を連れて」

淡々としたリボーンの問いに、獄寺は曖昧な笑みを浮かべた。
目の下や口元にシワを刻ませても端正な顔には、ツナと同じような火傷による痕があった。

「オレのせいです。オレの油断が原因です。10代目はずっと激務でお疲れでした。
「超直感」も働かなくなるほどに。
10代目の右腕で爆弾のスペシャリストであるオレが、気付かなければならなかったのに、10代目はオレを信じて安心されていたから、巻き込まれてしまった……」
「……まあ今更、あれから何年も経っているし、原因を突きとめたい訳じゃない。
ただオレが思っているだけだ。アレは事故じゃない、と」

部屋に沈黙が降り、リボーンがコーヒーを啜る音と医療機器の規則的な機械音だけが続いた。

『……ごくでらくん?』

モニターの中のツナが目を覚ました。

「はい10代目、すぐに参ります」

その言葉だけマイクをオンにして、獄寺は腰を上げる。

「すみませんリボーンさん」
「ああ気にするな。コーヒー美味かったぞ」

小さく頭を下げて獄寺は隣の部屋へ消えた。モニターに映るツナの元へ獄寺が近づいていく。

『おはようございます10代目。お身体の調子はいかがですか?』
『……だるいしちょっと頭が痛い』
『それは大変です』

ツナと自分の額を合わせて獄寺が安心した声で繋げる。
『熱はないようですね。念のために食事のあとで薬を飲みましょう』
『嫌だよ。いつもの飲み薬、苦いんだもん……』

リボーンは帽子を目深に被り直し席を立った。
ツナは数年前の事故により、人生の半分以上の記憶が途切れている。
獄寺はそんなツナを片足を引きずる不自由な身体で介護している。
最初、ツナはボンゴレの医療機関で治療を受けていた。
しかし身体の傷が癒えるほどに記憶が混乱し、ついには妄想を語り出した。
自分はまだ中学生で、不治の病にかかった獄寺が自分を監禁しているのだと。
おそらくその妄想こそがツナの記憶を乱し、医学的には完治している眼や四肢を使えない物としているのだろうと医師は言う。
心の病がツナを狂気の世界に引き込んでいるのは間違いないのだが、何故妄想に取り憑かれたのか、原因は分からずじまいだ。
一番の治療法だと言われ、獄寺はツナの妄想どおりに2人きりの生活を始めた。
ツナのために生きてきた獄寺にとってツナの妄想に付き合うことは当たり前で、むしろ当人は幸せそうだった。

「昔は分かりやすい奴だったのに、今じゃチラリとも読めやしねえ」

リボーンは終始笑顔の獄寺を見つめ踵を返した。
心を読めなくなったのは獄寺だけでなくツナもだった。
リボーンは己の能力が衰えたのかとも考えたのだが、読心術が使えないのは2人のみで、それゆえツナと獄寺が笑顔の下にどれ程の病を抱えていたのか気付かなかった。
むしろ2人はリボーンさえも欺いていたのだとしか思えない。
それが証拠に、2人きりの楽園で、獄寺とツナは幸福に漬っているではないか。
しかし、リボーンは何が真実であろうと、過去のことにかまけている暇はなかった。
ツナの現状ではボンゴレ10代目の務めを果たすことは不可能だったため、療養を理由にボンゴレは新しいドンを迎え守護者も当然新しく選ばれた。
11代目は未だ年若く、対立するファミリーは勢力を増している。
ツナが10代目を引退してからそれまでの守護者の半分はボンゴレを去り、リボーンには山のような仕事が残された。
けれど、どんなに多忙でも定期的に2人の様子を確かめずにはいられない。
どちらもかつて自分が鍛えた教え子達だ。
それに対策は万全としても、万が一獄寺に何かあった場合、ツナの命もそこで尽きる。
引退はしても初代をしのぐ偉大なるボンゴレ10代目に、死なれるわけにはいかない。
そして一番の理由は、獄寺が死ぬという自らの嘘を信じ監禁の身に甘んじるツナと、ツナの記憶を優先し悪役を厭わず尽くす獄寺に、切ないほどの憐憫を感じるからだ。
ダメツナと揶揄された教え子は最強と呼ばれ、ボンゴレを巨大にした。
仲間を守り義務も果たし、今はただ、幼い子どもに戻って最愛の相手とともにいる。
ツナと獄寺のどちらが先におかしくなってしまったのか、どちらが真に願った望みなのか、リボーンには分からない。
ただ、ツナも獄寺もモニターの中で笑っていた。
あの事故が起こる前には久しく見ていない、偽りでない笑顔で。




リボーンが部屋を去ってからも、モニターからの睦言は途切れない。

『夢を見たんだ。獄寺君とオレがマフィアになってる夢』
『オレはボンゴレのボスで君はオレの右腕なんだ。夢なのに凄くリアルで――』
『オレはいっぱい人を殺した。怖かった。
だけどみんなを守りたかったから……君を失いたくなかったから……』
『でも夢なんだ。良かった夢で。オレは誰も殺してない。誰も騙してない。
誰も苦しめて泣かせてなんかない。そうだろう?』
『はい。10代目。全部夢です。あなたはオレの命が尽きるまで囚われの身なんです。
ずっと側に――オレだけの沢田さんです』



◇ ◇ ◇



この頃ツナは眠るのが億劫になっている。
目覚めるたびに覚えている夢が酷く後味が悪いのだ。
それは季節や時間など脈絡なく、とぎれとぎれで、どんなに目を凝らしても薄暗くてよく見えなかったり、かと思えば眩しくて目を開けていられないような、外の生活時代にはなかった物ばかりなのだ。
おまけに匂いや感触なども生々しくて、目覚めるたびツナは獄寺を呼んで話を聞いてもらわなければ、いつまでも夢の世界にいるような気がして憂鬱になる。
獄寺はツナのとりとめない夢の話を聞き終わると、必ず決まった言葉を口にした。

「でも、夢ですから」

そう獄寺に優しく告げられて夢の中よりも柔らかく暖かい唇で口付けを授かると、ツナは安心し何の不安も感じなくなる。
目が覚めているあいだは残酷な未来が待つというのに、酷く心安らげた。
夢の中で見る妙にリアルな未来は獄寺が生きて自分の側にいてくれているのに、極寒の地に何の防護もなく突っ立ているような、いつでもすべてを投げ出して消えてしまいたくなるような孤独がつきまとっているのだ。
けれど、夢は夢でしかなく、獄寺はツナの側に居てくれる。
あとどれ程2人でいられる時間が残されているのか分からないけれど、ツナは獄寺の口付けを受けるたび、終わりの日がいつ来てもいいと思えるようになっていた。
きっと獄寺はツナを連れて行ってくれる。その確信があった。



◇ ◇ ◇



暗い部屋だった。
大きな窓から見える空は高く澄んだ蒼が広がっているのに、2人のいるその場所だけが闇のように。

「死に別れることと、生き別れることは、どちらが辛いと思いますか?」

問いかけた者の表情は闇に紛れて分からない。
ツナはこの夢を見るのは何度目だろうと考えた。
考えた所で分かるはずもないのだけれど、その間にまた場面が変わる。
その場所に座るとツナは酷く安心した。
隣に最愛の存在がいて、狭い空間で2人きりなのだから。
彼は一度としてこちらを見てくれない。ツナは考える。彼が自分を見ようとしない理由を。
けれど分かっている。誰よりも誰よりも、彼が伝えられずにいる言葉を、ツナは知っている。
ツナはおもむろに右手を伸ばし、隣の存在の手を握った。
途端、ビクリと硬くなったその手は、しかし、ツナが望むままだった。
ツナはそれを嬉しく思うと同時に悲しくなった。
彼はもう分かっているのかも知れない。
いや、分からないはずがない。
自分の望みは彼自身の願いでもあるのだから。

「一緒に、死にましょう」

期待通りの言葉に、歓喜と絶望が押し寄せた。




ツナは夢の中で泣いていた。
終わりのない長い悪夢が終わることを望みながら、この悪夢の苦しみさえも自分が選んだことなのだと薄々分かってきていたから。
涙がこぼれるまま目を閉じる。
声が聞こえる。戸惑った、不安げな少年の声。

「……ここはどこ? 何で真っ暗なの?」

毅然とした強い意志。

「死んじゃダメだ」

泣きじゃくり疲れ果てた哀願。

「オレを殺して」

安心しきった呟き。

「約束だよ」

誰なのか分からない、ひとりごとに似た囁き。

「それが、望みなら――」



◇ ◇ ◇



どこからか時計の音がする。コチコチと正確無比な響きが告げている。
ツナは薄暗い世界でああまた夢を見ているのだと己に言い聞かせた。
一日のスケジュールを読み上げるように熱のない声が淡々と伝えてくる。

「終わりです。これでもう何もかも終わりに出来るんです」

けれど、ツナの手を包む暖かいぬくもりが語るのだ。

「はじまりです。これからすべてがはじまるんです」

ツナにはどちらでも良かった。どちらでもいいのだ。どうせこれは夢なのだから。
大切なのは目が覚めてから愛おしいかの人が側にいてくれること。
それだけだから。



死が二人を分かつまで、楽園の営みは終わらない。



 完

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