誰よりも君を愛す



■7

「……ゴメン」
 獄寺の問いかけにツナは素直に謝罪した。
「オレ寝ぼけてて、自分の携帯のつもりで開いてからこれ隼人君のだったって気が付いて、開きはしたけど中身は読んでないよ。ホントに。でも……ごめんなさい」
 しゅんと項垂れる姿に何故か自分の方が悪いような気がしてくる。
「いえ、内容は沢田さんがご覧になっても不都合はないんですが、……この携帯どこにありましたか? オレ昨夜リビングに置いていたはずなんですけど」
「……どこって、寝室にあったよ? 朝起きたらベッドの下に転がってたから踏まないように枕元に置いて、その時隼人君の所へ持って行けばいいと思ったんだけど、どうせ着替えたりする時に気が付くだろうと思って…そのまんまにしちゃったんだけど……?」
 ツナが記憶を辿ってか、しきりに視線をめぐらせる。
 最初に質問したさいの動揺は、人のメールを見てしまった罪悪感からだと思えば納得できる。元々綱吉は朝が弱いので、獄寺が出かけた後でツナが二度寝をしていたとしても不自然ではないし辻褄が合う。
 不安げなツナの瞳に、ますます自分の勘違いから理不尽な疑いをかけてしまった気がしてきた。こうなったら気が付いた全ての事を確かめようと腹をくくる。
「……シーツ、替えられてましたね」
 ツナは途端に赤面した。
「あ、あのね、オレ、行儀悪いんだけど、お昼のピザ、隼人君のベッドで食べたんだ。そしたら一切れ落っことしちゃって、……だから剥がして洗濯機で洗ったんだ。勝手に使ってゴメンなさい…」
「そんな……、シーツくらいオレが洗いますから剥いだだけで充分ですよ。わざわざすみません」
「ううん。オレが汚したんだから…」
 ツナはベッドでの粗相が恥ずかしいのか下を向いてもじもじしている。ごくごく普通の、むしろ微笑ましい態度だ。
「……すみませんでした」
 獄寺はツナに疑いをかけた自分を恥じ謝罪した。獄寺が何について謝っているのか分からないツナはきょとんと見返してきた。




 ツナが作ってくれたオムレツは、見た目よりも遙かに素晴らしい味だった。獄寺が心から絶賛し感謝の気持ちを伝えると、ツナは大げさだよと照れながらも嬉しそうだった。
 食後片づけをかってでたツナに甘えて、獄寺は風呂の用意をして先に勧めた。その後、昨日と同様自分が風呂に入る前に綱吉に電話をかけ、電源が入っていないというメッセージにため息をつきながらメールを入れた。


 湯船につかりながら、綱吉が突然訪ねていける相手を考えてみる。有力なのは山本かロンシャンだが、もしかしたら笹川了平の家かもしれないと当たりを付ける。了平は綱吉の守護者で妹の京子はツナの元クラスメイトだ。
 もし綱吉が笹川家に行ったとすれば、当然京子と昔話に花を咲かせたりしているだろう。和やかに微笑み合う二人の姿を想像すると、獄寺の胸にどす黒い気持ちが込み上げた。
 獄寺が綱吉の恋人であろうとも、その立場は綱吉がボンゴレボス10代目に就任するまでの事だ。綱吉がボスになった場合、遅かれ早かれいつかはボンゴレ安泰のために妻を娶り跡取りを作らなければならない。その時、京子は一番の候補だと思う。京子は綱吉の初恋の相手で容姿も頭脳も優れているし、少し天然な性格は殺伐としたマフィアの世界に身を置く事になる綱吉を癒してくれそうだ。何より兄が守護者でリボーンの目にも適っている。
 湯船を見つめる獄寺の脳裏には大人になった綱吉がいた。今より更に背が伸びて優しげな印象を残しながらも、ボスとしての威厳を感じさせる眼差し。あるじは白いタキシードを纏い、その隣には同じ純白のドレスに身を包んだ京子の姿がある。二人は対に作られた存在のように自然に寄り添い、眩しいほどに幸せなオーラを漂わせていた。綱吉の微笑みは京子だけに向けられ、あるじはおもむろに花嫁の手を取ると指輪をはめて誓いの口付けを……
 思わず獄寺は妄想の中へ乱入し、タキシード姿の綱吉を放課後の教室で抱きしめた時のように組み敷いていた。
(あなたに女が抱けるんですか。あんなにオレの下で喘いでた、オレに弄られてあっという間にいっちまったあなたが――)
 自分が吐いたあるじを辱める言葉に愕然とする。声には出していないが思わず口元を押さえると、身動きで起きた水音は酷く現実味を欠いていた。
 綱吉が誰の所で過ごしているかさえはっきりしていないというのに、その相手を決めつけて勝手に未来の姿を妄想し、嫉妬の余り部下としてあるまじき行動を取ってしまうとは許し難い冒涜だ。しかもその際酷い言葉を使ってしまった。
 綱吉を敬う気持ちに偽りはないのに、あるじを自由にしている時間を引き合いにして責めるなど、己の身勝手さに吐き気がする。
 少なからず、ツナから聞いた異世界の自分の話が切っ掛けだったのかもしれない。同じ獄寺隼人でも、自分と異世界の獄寺とでは置かれている状況やあるじに対する力関係が違いすぎる。それを不遜だと思いこそすれ、羨ましいなどとは思っていなかった。
 けれど、今こぼれた気持ちや放課後のいつにない行動は、異世界の獄寺と同じではないだろうか。妄想の中とはいえ、どう取り繕うともそれは元々獄寺の内にあった物なのだ。異世界の獄寺の存在を知って突如生まれた訳ではない。
 異世界の存在を言い訳にするつもりはないが、良き恋人良き部下として押し殺し取り繕った感情の枷が外れる開放感に目覚めてしまった感がある。
 一体自分がどうしたいのか、どうするべきなのか、獄寺はぬるくなっていく湯船の中で考え続けた。




 普段より長湯をしてしまった。手のひらがふやけて白っぽくなるなど、随分久しぶりだった。
 獄寺がリビングに向かうとツナはそれまで見ていたTVニュースを消し腰を上げた。
「のど乾いてるよね」
 そう言って獄寺の返事を待たず素早くキッチンへ向かう。飲み物くらい自分で用意しますからと申し訳なく思い追いかけると、ツナは既に飲み物を冷蔵庫から取り出してトレイにグラスと一緒に置いていた。
「せっかく隼人君と会えたのに、あんまり話出来てないから、今夜はいろいろ語ろうよ」
「……沢田さんも飲まれるんですか?」
 トレイの上にはビールと酎ハイの缶が並んでいる。綱吉はほんの数口で記憶が怪しくなるくらい酒に弱いので、ツナが飲酒すればどうなる事かと不安になった。そもそも中学生のツナに酒など飲ませて良いのだろうか。(自分も飲酒禁止の年齢だという事は棚上げだが)
「固い事は言いっこなしだよ。こんなに揃ってるって事は隼人君もここのオレも飲んでるって事だもんね。オレ、明日にはいなくなっちゃうから、隼人君と話がしたいんだ」
 それでも駄目かなと眉根を下げて小首を傾げられれば、分かりましたと頷くしかない。
 どうせ獄寺も一杯引っかけなければ、延々綱吉や己の内にある暗い感情について考えてしまい堂々巡りになりそうだった。
「かんぱーい」
 リビングのテーブル回りに腰を据えて、ツナが明るい声でグラスを合わせてきた。そのままジュースのようにのどを鳴らして飲まれたので、呆気にとられて見つめてしまった。
「……沢田さんは酒に強いんスね」
「そ、うかな? 普通だよ。ささ、隼人君も飲んで飲んで」
 ツナに勧められグラスを空ける。たまにしか飲まないせいにしても今日のビールは酷く美味いと思った。空いたグラスにツナが2杯目を注いでくれて、礼を言って口を付けるときっとこれじゃ足りないよねと立ち上がり追加のビールを持ってくる。
「隼人君は……ここのオレと仲直りしたの?」
 グラスをちびちび傾けながらツナが聞いてくる。触れて欲しく無い話題ながら嘘をつく必要もない。
「仲直り出来そうだったんスけど、オレがヘマやっておじゃんです。……だんだんどうしたらいいのか分からなくなってますよ」
 自嘲気味に答えるとツナは焦って大丈夫だよと励ましてきた。
「だって、オレは獄寺君に色々されても嫌いになれないし、ここのオレだって隼人君が――どんなヘマなのかは知らないけど――心底嫌いになったりしないよ絶対に」
「……そうだといいんスけど」
 力なく獄寺は笑い2本目の缶に手を伸ばす。
 ツナはじっとその動きを見つめ、獄寺が三杯目のグラスを飲み干すのを待った。
「何があったのか聞いてもいい?」
「……」
 彼は異世界の存在で年齢も違う。とはいえ同じ沢田綱吉だ。状況を説明してツナならばどう言った気持ちなのか教えて貰えれば、獄寺にとって分かりかねる綱吉の行動を理解できる一端になるのでは無いだろうか。
 そのためには包み隠さずこれまでの事を喋らなくてはならないのだが、いくら性経験が豊富で獄寺にとっては「先輩」なツナとはいえ、あまりにレベルの低い悩みだと一笑されないかというためらいがあった。
 獄寺は異世界のあるじだろうと沢田綱吉にはなるべく弱い所や駄目な部分を見せたくなかった。その願いは己のせいで台無しになっている事が多々あれども。
「……人に聞くならまず自分の話をするもんだよね」
 そう言ってツナは自分と異世界の獄寺(以下隼人)の話を語り出した。二人の出会いや交際を始めてからのエピソードの数々は時期が違うだけでほぼ同じだった。隼人はツナが怖がらないよう辛抱強く慣れさせていき、けれど、最終ラインを許してからの態度は全く違っていた。

 

 隼人は周囲へ二人の性的関係を匂わせる態度こそ取らなかったが、ツナへの執着は酷くなり、どこへ行こうと何をしようとツナの行動を把握出来なければ気が済まない。休日にツナが家族と出かけた場合や、リボーンの急な修行であっても細かく詮索し、あげくGPS付きの携帯電話を持たせて連絡が取れなければ問いつめてくる。獄寺も真っ青なストーカーっぷりだ。
 最初はツナも初めての恋人同士という状態に浮かれていたし、隼人の束縛もむしろ部下とボスというしがらみが無くなったからだと喜んですらいた。しかも隼人は言葉巧みに理論を並べ立て、普通の人間ならノイローゼになる数の電話やメールも、恋人同士なら当たり前の愛情表現範疇だと思いこませていた。
 けれど、隼人以外の人間との付き合いに口ばかりか行動で邪魔をしてきたり、毎日のように身体を求められ出してからはさすがにツナも困りだした。ツナにとって隼人は大切な恋人だが、隼人以外の友達やクラスメイトを蔑ろには出来ないし、セックスも気持ちよくて好きだが毎日は無理だ。ツナは隼人よりも体力がないし、受け身のツナの方が身体への負担が大きいのだから。
 それを理由に要求をやんわり拒むと、隼人は譲歩案として挿入せずにツナだけを高めて開放させたり、キスだけの日や裸にして触ったり舐め回すだけの日を決めて、結局ツナに触れる事をやめようとしない。
 そのうち二人の秘め事は隼人の部屋のみならず、ツナの部屋や帰り道、放課後の教室などでも行われ、ツナが万一の人目を気にして拒んだり恥ずかしがっても無駄だった。隼人はツナが拒否を示すと、すぐさま代案を並べ説得し、時には甘え、泣き落としたり脅迫まがいの台詞を口にしたり、あらゆる手を使って受け入れて貰おうとする。やがて場所へのこだわりが無くなったかと思えば、今度はコスチュームプレイを要求してきて、その際に写メやビデオに撮られるのは当たり前。半裸のセーラー服姿でハメ撮られたビデオを見せられたり、そのままもう一度ビデオのプレイを繰り返されたり、最近では妙な道具まで用意して、とにかく獄寺の予想を超えた、獄寺にはとてもまね出来ない事ばかりの話が続いた。



「……だんだんオレもマヒしちゃって、獄寺君にしてもらわないと物足りないっていうか……。どうしたらいいんだろう」
「……は、はぁ。大変っスね」
 延々情事の様子を具体的に聞かされ、獄寺は不謹慎にも興奮してしまった。
 最初は隼人の傍若無人な振る舞いにはらわたが煮えくりかえるほどの怒りと妬みを覚えたのだが、だんだん自分にはとても無理だと思う事をやりきってしまう異世界の存在に感心すらしていた。獄寺も可能であれば毎日でも綱吉を抱きたいと思うが、実際に出来るかどうかは別の話で、やりたい盛りにしてもそのバイタリティに恐れ入いる。
 ストーカーまがいの執着心。ツナに恋愛感情を持たない人間さえ排斥しようとする嫉妬深さ。ツナを自分だけのものにしたい、誰にも奪われたくないという隼人の余裕の無さは、根底に不安があるからなのだろう。同じ立場だからこそ分からないでもない。現に獄寺も綱吉の恋人でありながらいつか来る別れの日を思うと、理屈では仕方がないと思いつつ、感情では未だ割り切れないでいるのだから。高校生になってもこうなのだから、中坊にとってのそれは更に暗い闇に違いなかった。
 隼人はツナを独占し支配したいわけではなく、自分をどこまで受け入れて貰えるのか確認しているのではないかと思う。隼人の一見我が儘でごり押しとしか思えない行動の数々は、綿密な計画と冷静な状況判断が無ければ無理だった。単なる偶然や運の良さなどでは考えられない状況の話がいくつもあるし、そもそも嫉妬深い隼人が情事に耽るツナの姿を人目に晒すような事をするはずがない。
 二人の関係がそれほど一方的でないと思えたのは、隼人の話をするツナの表情に悲惨さが無く、むしろのろけ話を聞かされている気になったせいもある。
 獄寺は最初に予想していた隼人と自分の中で推測し形作られてきた隼人では、随分イメージが違うのに混乱し始めた。
 ツナへの執着ぶりを我が身に照らし合わせれば、獄寺にとって一番辛い事は綱吉に己の存在を必要とされず側にも置いて貰えなくなる事だ。
 ツナの話に嘘があるとは思わないが、隼人がツナを異世界へ逃げたくなるほど追い詰めるとは思えなかった。ツナを異世界へ三日も、ヘタをすればそれ以上の間会えないでいるなど自分なら耐えられないし、綱吉を一人きりでどこともしれない場所へ行かせてしまうなど信じられない愚行だ。異世界が自分のいる世界と同じように平和とは限らないし、絶対に無事に帰ってこれるかどうか分からない。何の手だてもなくただ待つしか出来ないだなんて、想像すると生きた心地がしなかった。
 隼人を自分と同じ思考回路で想像するためかなり独善的だとは思う。しかし、「獄寺隼人」の立場で考えると、どうしても納得がいかなかった。
「……隼人君の話、聞いてもいい?」
 獄寺が一人思考の迷路をさ迷っていると、しばらく黙って反応を伺っていたツナが問うてきた。隼人の話をしていた時は他人事のように淡々としていたツナだが、話終わってから恥ずかしくなったのか視線を外し気味だ。
 獄寺は酒のせいでだらしなくソファーに凭れていた居住まいを正す。ツナが赤裸々に告白してくれた以上、こちらもきちんと話す事が礼儀だと思った。
 獄寺は初めての夜とその朝の出来事から話始めた。中学時代と現在の状況が前後してしまい自分でも分かりにくいと思ったが、ツナは気にした風もなく前のめりの姿勢で続きをせがんだ。そして綱吉の理不尽としか思えない行動や言葉の数々を、「いくらなんでもそれはここのオレが酷いよ」と非難して、獄寺の努力をたたえ、報われない想いを受け止め、十分に慰め励ましてくれた。
 それでつい、獄寺の語りは長く愚痴っぽくなった。なにしろ獄寺には今まで綱吉の話を出来る相手がいなかった。事情を知るリボーンは『それが嫌なら別れろ』の一言であるし、二人の関係を知っている山本には、獄寺が一度『10代目がさせてくれねぇ』とぼやいた時に『毎日キス出来るだけありがたいと思え!』と罵られた過去がある。普段温厚な野球少年は年上の気まぐれな恋人に散々振り回されているらしく、贅沢な悩みだと言うのだ。よって、獄寺は一人悶々と過ごすしかなかった。
「……なんだか、うちの獄寺君とここのオレを足して割ったら丁度いいくらいかもね」
 セックスするのは好きだがもう少し控えて欲しいというツナと、もう少し増やして欲しいと願う獄寺は、ままならない現状に深いため息をつきあった。
「隼人君の話を聞く限りだけど」と前置きはしたが、ツナにも綱吉の豹変ぶりは分からないらしい。しかし、ツナに相談出来た事で獄寺の気持ちは随分救われた。根本的には何の解決にもなっていないが、異世界のあるじに自分の努力を認めて賞賛して貰えた事は何よりの慰めだった。どんなに時間がかかろうとそのうち綱吉に理解して貰えるかもしれないと思えば、己の気持ちを信じて真摯に対応していけばいいのだと希望が湧いてくる。
 獄寺は空いたグラスにビールを注ごうとして空なのに気付き、そのまま握りつぶした。
「ビール飲む? 取ってこようか?」
「いえ、もう充分っスよ」
 腰を上げたツナに首を振りソファーに凭れる。350の缶を三本では大して酔ってもいないしもう少し飲みたいと思ったが、これ以上ツナの手を煩わせたくない。適度な気怠さが心地よかった。
「……隼人君も大変だね。そんなんじゃかなり溜まってるんじゃないの?」
 挟んだテーブルの真正面にいたツナがいつの間にかすぐ隣に来ていた。上目遣いに小首を傾げられて、単純に可愛らしいと心が和む。
「……いえ、その……慣れてますから」
「隼人君は我慢強いね。優しいし……ここのオレが羨ましいな…」
 膝立ちになったツナに顔を覗き込まれたと思ったら、ツナの顔が限界まで近づいて唇に柔らかい感触がした。
「さ――」
「オレがしてあげる」
 するりと伸びてきた小さな手が股間に触れてくる。
「あっ、あのっ……」
「……おっきいね」
 嬉しそうな含み笑いを漏らして、ツナが囁いた。



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□20070805 up