誰よりも君を愛す



■4

「……沢田さん、沢田さん」
 ツナに呼びかけてそっと肩を揺する。
「……ん…う…にゃ…?」
 眉間にしわを寄せて、ツナはむにゃむにゃ意味の分からない言葉を口の中で呟いた。ぼんやり目を開けて覗き込んだ獄寺を見つめていたが、瞳に知性の光が戻ってくると片手で目元をこすりながら吐息を吐いた。
「……ごめん…。オレ…寝ちゃってた」
「お疲れだから仕方ないですよ。風呂沸かしてますから冷めないうちにどうぞ。着替えはオレので良ければバスルームに置いときましたんで使って下さい。汚れた服は洗濯機の中に入れといて下されば洗っときますんで」
「うん……ありがとう。ゴメンね。オレ、いっぱい迷惑かけて……」
 眠りに就く前の自分の状況を思い出したのか、ツナは目をそらして頬を染めた。獄寺はツナの純真な瞳に見つめられると妄想の中でしでかした事を悟られてしまいそうだったので、安堵を覚えながら早口で会話を繋げた。
「お気になさらないで下さい。オレも10代目とは恋人同士なんで……。――大丈夫ですか?」
「う、うん」
 半裸の身体を包み込んだまま、ツナはゆっくりソファーを離れる。
「じゃあ、お風呂借りるね」
「ごゆっくり。もし何かあったらすぐオレを呼んで下さい」
 ツナはこくりと頷くとふらふらしながらもバスルームの方へ向かった。獄寺は緊張から詰めていた息を吐いてその場から立ち上がる。




「これ隼人君が作ったの?」
 ツナが風呂を出る時間を見計らって作った料理を並べていると、匂いに気が付いたツナがキッチンを覗き込み驚きの声をあげた。
「これしか出来ないんスよ。何か取っても良かったんスけど、ピザくらいしか頼んだことなくて。10代目はピザよりこっちの方がお好きだから…」
「うん。オレもスパゲッティーの方が好きだ。しかも隼人君の手作りなんてスゴイや! おいしそう!」
 ツナがスゴイスゴイと褒めてくれるので、獄寺は単に茹でてレンジで温めたソースのっけただけなんスよと説明した。
「茹でるだけでもスゴイよ。うちの獄寺君はレンジでチンしか出来ないし。ていうか危ないから絶対何もしちゃ駄目って言ってるんだ。料理とか、もう壊滅的に駄目だから」
「オレもメチャクチャ下手だったんスけど、10代目に喜んで頂きたくて特訓したんです」
 話ながら皿をトレイに乗せ、冷蔵庫から水のペットボトルを取り出す。ツナには綱吉用に置いてある緑茶のティーバッグとマグカップを揃えた。
 手慣れた獄寺の動きを見ていたツナは、借りて着ている獄寺のTシャツの裾を握りしめる。
「……ここのオレは隼人君に大事にされてるんだね」
 寂しさを滲ませた声に、獄寺は一瞬返答に詰まる。「どうなんスかね。ホントにそうなら喧嘩とかならねえと思うんスけど」自嘲気味に答えるとツナはちらりと視線を合わせて微かに笑った。
「ん〜〜いい匂い。お腹空いちゃった。お湯はこれでいいの?」
 そう言いながらツナは迷いなくポットを掴みトレイを持った獄寺より先にリビングへ向かう。ツナのらしからぬ表情が気になったが、「隼人君早くご飯食べようよ」という屈託のない声に促されて、ひとまずキッチンを出た。




 食事のあとツナがどうしてもすると言って聞かないので、獄寺は片づけをツナに任せてその様子を見守った。エプロンをつけて洗い物をするツナは綱吉と同じでとても可愛らしい。その上自分が貸したTシャツとハーフパンツがツナには大きすぎて、服に着られてる感が堪らない。こんなに健気でかわいいツナがあんな事になるなんてと、先ほどの事を思い出し、性懲りもなくリピートしそうになった妄想を追い払う。
 獄寺にはずっと気になっていた事があったのだ。
「……沢田さん。オレは沢田さんが許されてるのなら、そもそもオレが口出し出来る事じゃないと思ってますけど……あんな事、沢田さんらしくないっつーか、別世界のオレに無理矢理されてたりとかしてるんじゃないんスか…?」
「……だってオレ、獄寺君が好きだから…。好きな人がしたいっていうなら、させてあげるもんじゃないの?」
 獄寺は予想が当たって苦い気持ちになった。今すぐ別世界の自分を呼び出して殴りたい。
「いくら好きでも嫌な事は嫌だって言わなきゃダメですよ。それでなくても「オレ」はあなたに執着しすぎてますから、調子に乗ったらあなたの優しさにつけ込んでとんでも無い事要求しますよ。好きなら相手が嫌がる事は出来ないし、したくないと思うのがホントの愛情ってもんじゃないんスか」
「……」
 ツナは手を止めて考え込む。幼い横顔が曇ったかと思うと、ホロリと涙がこぼれた。
「……そ、うだよね。ホントに好きなら、オレの事好きなら……オレが嫌がったり恥ずかしいって言ったらやめてくれる筈だよね? オレ、獄寺君に――お、おもちゃにされてるだけなのかな」
 ツナは自分の言った言葉に傷ついたのか激しく嗚咽した。
「沢田さん」
 獄寺が見かねて震える肩に手をのばすと、ツナは獄寺の胸にすがってすすり泣いた。
「そんな訳ありませんよ。あなたは「オレ」にとって唯一無二の特別な人なんです。軽々しい気持ちでは触れられません」
 小さな肩を手で包み自由にはねた癖毛を撫でる。ツナはよく懐いた猫のように身を任せ、獄寺の労りを受け入れた。しばらくそのままでいるとツナの涙も止まり落ち着いてきた。
「……獄寺君はすごくエッチなんだ。しかもめちゃめちゃ嫉妬深くて、今日も山本と話してただけなのに怪しいって疑って、帰りに何もしないって言うから獄寺君ちに寄ったのに、む、無理矢理……中に出すし…。しかもお仕置きとか言って変な物着けられて……だから逃げてきたんだ」
「……すみません」
「隼人君じゃなくて獄寺君の話だよ?」
「それでも、すみません」
 きょとんとしたツナから視線を逸らし、獄寺は腕の中の少年をやさしく抱きしめた。
 エッチで嫉妬深く嘘までついて自分の目的を達成する異世界の自分。獄寺も心のままに振る舞えばそうなってしまう可能性が高い。恐れ多くも愛おしい、自分の命よりも大切だと思える存在にそこまで傍若無人になれるとは、どこでタガが外れてしまったのだろう。
(……もしかしたら)
 獄寺は一つの可能性に気がつき、その考えを追い払った。非難されるべきは傲慢な「自分」だけでいい。
 視線を感じて腕の中に目を向けると、ツナがじっと獄寺を見つめていた。涙で潤んだ琥珀色の瞳とバラ色に染まった柔らかいラインの頬。少し開かれた唇はふっくらと艶めいて、風呂上がりの清潔な匂いがする身体は酷く熱かった。
 スリスリと身体を獄寺に押しつけ、ツナが囁く。
「……隼人君はやさしいね」
「へ? ……あ、あの……」
 ツナの身体が微妙なところを刺激してくる。さっき抜いていなければたちまち反応していたに違いない。
「獄寺君も……隼人君みたいにやさしかったらな…。そしたらオレ……」
 ツナの小さな舌先が唇を濡らす。赤くとがったそれがどれだけ甘いか、獄寺は知っている。これが綱吉なら迷わず好きなだけ味わうのだが――。
「あ、あのっ沢田さん、ココアでも入れましょうか。甘い物を取ると疲れがとれますから」
 ココアの缶を探すことを口実に、獄寺はツナを引きはがす。ツナと綱吉が違う存在だと分かっているのに、近くにいると餓えた身体が気持ちを裏切りそうだった。
 ツナにココアを作り、リビングのソファーでTVでも観ながらどうぞと運ぶと、ツナは礼を言って受け取った。ツナの涙も収まったようなので、獄寺は自分も風呂に入ることにした。風呂に入る前、こっそり綱吉の携帯に電話をかけてみたがやはり繋がらず、メールを打って送信しておいた。これで遅くとも明日の朝には読んで貰えるだろう。





 風呂から上がりリビングに入ると、ツナはソファーで丸くなっていた。TVを観ているうちに眠たくなったのだろう。リモコンを取り上げてニュース画面を消すと、部屋に静けさが広がった。時計を見るとまだ九時過ぎだが、早すぎると言うほどでもない。
 獄寺はツナを抱き上げ寝室へ運び、ベッドにそっと横たえた。カバーをめくり上掛けを整えていると、軽い眠りだったのかツナが目を覚ました。
「ごめん、また眠ってた…」
「もう今日はお休みになった方がいいですよ。ご自分が思われるよりお疲れなんだと思います」
 ツナの頭に枕を合わせて寒くないように布団を掛ける。とろりとした眼でされるままになっていたツナは、獄寺が立ち上がろうとすると慌てて起きあがった。
「ここ、隼人君のベッドなのに、独り占めしちゃって…」
「いいんですよ。オレはソファーで寝ますから」
「だ、ダメだよ。ソファーじゃ狭くて隼人君きっと眠れないよ。そうだ、一緒に寝たらいいじゃん。そうしよう、ね?」
 ツナが魅力的な提案を出してきたが獄寺は苦笑して頭を振った。綱吉と夜を共にしたこともあるベッドで、綱吉と同じ匂いのする可愛い生き物となんて、眠れるわけがない。
「オレなら大丈夫っスから、沢田さんは気にせず休んで下さい。あ、オレが寝てたところでそのままだから、ニオイとか気になりますか?」
 ツナが遠慮しているのではなく、単に獄寺が使っているベッドで寝たくない可能性を忘れていた。面倒なのでシーツは週一で替える程度だ。せめてツナを運ぶ前に取り替えておけばよかったと後悔する獄寺に、ツナは慌てて否定した。
「ううん。オレ、このニオイ好きだよ!」強く口にして、言葉の意味に気がついたのか恥ずかしそうに布団に潜り込む。「……ちょっとエッチな気分になるけど……」頭まですっぽり隠れた人型の膨らみが大胆な発言をした。
「…………」
 獄寺は返答に困った。獄寺にとっては綱吉の方が堪らなくいい匂いで、自分の体臭など一度もいいと思った事がない。しかもエッチな気分になるだなんて、誘われているとしか思えない。
 既に何度もそうとしか思えない態度をとられていたので、気まずいが逃げことも出来ずにいると、ツナがもこりと顔を出した。
「……じゃあ、ベッド借りるね。隼人君も眠くなったらオレの隣、遠慮しないでいいから」
「はい。ありがとうございます」
「……隼人君はやさしいね。もう一つ、甘えてもいい?」
「オレに出来る事なら喜んで」
 ツナはもそもそと布団の中から腕を伸ばした。布団の端にちょこりと小さな手がのぞく。
「オレ、暗いところ怖いんだ。だからオレが寝付くまで、手を握っててくれる?」
「おやすいご用です」
 獄寺がニカリと笑うと、ツナもホッとしたように笑顔になった。
 部屋のライトを消し、枕元の間接照明を暗すぎない適度な明かりで灯す。ベッドにもたれるようにして床に座り、ツナの手を握ってしばらくすると、ツナから一定のリズムで寝息が聞こえた。獄寺は小さな柔らかい手にそっと唇を落とす。手のキスは尊敬の証。偶然出会えた異世界のあるじならば、獄寺から送っても許されるだろう。
 ツナが現れてからほんの数時間の出来事だというのに、精神的にずいぶん疲労していたのか、腰を据えるとなんだか身体が重く感じた。ツナも眠ったようだしもう部屋を出ていいのだが、気だるい上に薄暗い部屋のせいか瞼が重い。
(明日は早く起きて10代目を迎えに行こう。その時に今日のお詫びをして……)
 少しだけ目を閉じてすっきりしたら、もう一度綱吉の携帯を鳴らしてみようと思いながら、獄寺は眠りに誘われていった。




 獄寺が眠りに就いたあと、眠っていたはずのツナがゆっくり起きあがった。そっと密やかな声で呼びかける。
「……隼人君。風邪引いちゃうよ?」
 獄寺は寝息を立てるのみだ。ツナはそっと手をほどきベッドを抜け出すと、風呂に入る前に自分にかけられていたブランケットを探してきた。モノトーンでまとめられた獄寺の部屋で淡いオレンジのそれは、おそらく綱吉のためにあとから用意された物なのだろう。
「……思ったより手強いな……」
 ベッドにもたれて眠る獄寺にかけてやりながら、ツナは思わずといった口調で呟いた。滑りのいい獄寺の髪を撫でながら、獄寺が目覚めそうにない事を確かめる。
「でもあと二日あるしね」
 フフフといたずらな含み笑いを漏らし、ツナはそっと獄寺の頬にキスをした。そして音を立てないようにベッドの中へ戻り、軽く獄寺の手を握る。
「お休み、隼人君」
 パチリとベッドサイドの灯りが消され、部屋はツナが苦手なはずの闇に包まれた。


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□20070315up