うさぱら





 童実野の森に遊戯という双子のウサギが住んでいました 。ふたりは顔かたちも体つきもそっくりな上に同じ名前でしたが、兄は雪のように真っ白な毛並みをしていて、反対に弟は月明かりのない夜のような真っ黒な毛並みをしていたので、ふたりの仲間はちゃんと区別して付き合っておりました。
 何故ふたりが同じ名前なのか改めて考えるとおかしな話ですが、ふたりは特に気にしておらず、兄は弟を「もう一人のボク」と呼び、弟は兄を「相棒」と呼んでそれはそれは仲良しでしたので、周りも些細な事として問題にしていませんでした。



 ある日の事です。
 双子の住む小さなおうちは朝からてんやわんやでした。どうしてかと言うと弟の遊戯が弁当を作っていたからです。遊戯はゲームがとても強くて童実野の森では誰もかなう者がいないくらいなのですが、ゲーム以外で手先を使う事はとても苦手にしています。部屋はいつも片づかずぐちゃぐちゃですし、ご飯の用意も洗濯も全部相棒に任せているので(下手に遊戯が手伝うと二度手間になるのです)、卵焼き一つまともに作れた試しがありません。
 それなのに、相棒の助けを借り早起きまでして苦手な料理を頑張っているのは、今日は恋人の城之内とピクニックデートだからなのです。
 城之内は好き嫌いのない山犬で、むしろ昼飯なんて現地調達ぐらいのアバウトな性格ですが、久しぶりに会うこいびとに少しでも愛情を伝えたい遊戯なのでした。


「出来たぜ…!」
「おめでとうもう一人のボク! 頑張った甲斐があったね!」
 相棒に褒められて、遊戯は照れ隠しに長い耳を両手で擦りました。
 バスケットの中には遊戯が作ったサンドイッチとゆで卵、サラダスティックと果実酒が詰め込まれています。サンドイッチは中身があふれて掴みにくそうですし、ゆで卵は殻の剥き方が下手くそなせいで表面がボコボコです。サラダスティックに至っては大きさが不揃いでむしろ切らずにそのまま入れた方がいいんじゃないかと言うくらいの食欲減退物でしたが、遊戯にとっては今までで一番立派な仕上がりでした。
 料理は愛情です。多少の見た目など大きな愛の前ではさほど問題ではありません。
「これはボクからの差し入れだぜ」
 そう言って相棒は後ろ手に隠していた物を遊戯に差し出しました。それは干しぶどうがたくさん入ったパンケーキで、遊戯の大好物です。いつもなら焼いている匂いですぐに気が付いたはずですが、今日は慣れない料理に集中していたので、遊戯は相棒のサプライズにたいそう驚きました。
「いつの間に作ったんだ相棒」
「君が卵を茹でてる時からだよ。今日は特別にハチミツをたっぷり入れたからね」
「ありがとうだぜ相棒!」
 遊戯は嬉しくて思わず相棒に抱きつきました。ハチミツたっぷりのパンケーキも大好きですが、自分のデートでもないのに早起きをして、弁当作りの手伝いばかりかおやつまで用意してくれた相棒に感謝の気持ちで一杯になったのです。
「ふふふ。あんまりぎゅっとされるとパンケーキがつぶれちゃうぜ。今日は気をつけて楽しんできてね、もう一人のボク」
 遊戯は返事の代わりにもう一度抱きついてお礼を言いました。


 遊戯がパンケーキをバスケットに収める前にちょっとだけと匂いを嗅いでいると、表から元気な声が聞こえてきました。
「遊戯――! 迎えに来たぜ――!」
 窓からのぞいて確かめなくても誰なのかすぐ分かります。
 遊戯は大急ぎでパンケーキを詰め、バスケットを持って家の外へ出ました。
「おはよう城之内くん」
「おっす遊戯。久しぶりだな」
 遊戯と城之内は見つめ合うとにっこり笑い合いました。何しろこうして会うのは童実野の森が雪に包まれる前ぶりです。遊戯はウサギなのでどんなに雪深くなっても童実野の森で生活できますが、城之内は食べ物が捕れやすい人里近くまで降りなくてはなりません。幸いどれほど雪が降ろうとカラスの郵便配達が手紙を届けてくれたので、ふたりは手紙を交わし合い寂しい思いは少しで済みました。春が来て童実野の森の雪も溶け始めたので、城之内は今日遊びに行くと手紙を出し、それを受け取った遊戯は楽しみにしてるぜと返事をしたのです。
「何もってんだ遊戯」
「オレが作った弁当だぜ。相棒が作ってくれたパンケーキもあるんだぜ」
「へーすげえな。旨そうだ」
 バスケットに掛けられていた布を捲って中身を見た城之内の言葉に、遊戯は誇らしさを感じて胸を張りました。
「じゃあ相棒、行ってくるぜ」
「待ってもう一人のボク。まだ風が吹くと寒いんだから、頭巾をかぶって行きなよ」
「そうか。何か忘れてると思ったぜ」
 遊戯は慌てて家の中へ愛用の頭巾を取りに戻りました。その間に、兄の遊戯は城之内に近づいて念押しをしました。
「もう一人のボクはああ見えてうっかりさんだから、城之内くんが気をつけてあげてね。特に雪解け水で川辺は危ないと思うから」
「任せとけって。今日はダイスヶ原へ行くぐらいで、川辺は通らないからよ」
「おまたせだぜ」
 相棒と城之内が小声で話し合っていると、遊戯が赤い頭巾を身につけて駆け戻ってきました。
「じゃあ、今度こそ行ってきますだぜ」
「うん、気をつけて行ってらっしゃい」
 遊戯は森を抜けるまで何度も相棒に振り返り手を振りました。



 森を抜け兄弟の住む家が見えなくなってから、遊戯と城之内は手を繋ぎました。ふたりの仲を応援してくれてるとはいえ、兄遊戯の前でいちゃつくのはちょっと恥ずかしいからです。
「バスケット持とうか」
「軽いから大丈夫だぜ」
 遊戯が上目遣いで笑ったので城之内はドキリと胸を高鳴らせました。遊戯はそんなつもりで無いのでしょうが、ちょっとはにかんだ微笑みは城之内の萌えどころを的確に突いていたのです。冬場まったく会えないでいた恋しい相手ですし、赤い頭巾をかぶった姿はたいへんかわいらしくて、城之内は邪な欲望を感じ慌てて目をそらしました。
 ふたりは去年の秋からこいびととして付き合うようになりました。お互い初めてのこいびとなのでデート一つをとっても戸惑う事が一杯でした。だからふたりは未だにキスまでの関係なのです。
(今日こそはチュー以上の事してぇな……)
 冬場会えないでいた間、城之内の恋心は臨界点を突破する勢いでした。手を繋いでキスをするだけでも十分幸せなのですが、遊戯のすべすべした毛並みに触れていい匂いを嗅ぐと、それ以上の事をしたくて堪らなくなるのです。
 けれど、遊戯はウサギで城之内は山犬です。体の大きさも違うし爪が出っぱなしの城之内の手では、気を付けていても遊戯の体を傷つけてしまうかも知れません。
 城之内は遊戯が大好きです。遊戯に友達以上の気持ちを持つようになって、苦しんで苦しんでどうしようもなくなって告白をして、思いがけずOKを貰えた大切なこいびとなのです。だからどれほど欲望に目がくらんでも、絶対に自分勝手な事はしないと心に誓っていたのです。
 けれど、冬場の長い禁欲生活は我慢の限界でしたし、遊戯のお許しが貰えたらキスの少し先くらいには行ってみたいと切実に願う城之内なのでした。
 妄想に浸りながら城之内は遊戯の手の感触を楽しんでいました。遊戯の手は柔らかい毛並みに覆われていて、とても気持ちがいいのです。しかも城之内の手の中にすっぽり入ってしまう程小さいので、ついつい感触を確かめるようににぎにぎしてしまいました。
「っ…!」
 城之内が自分でも強く握りすぎたかなと思った時、遊戯の顔が痛みに歪みました。
「わ、わりぃ! 爪刺さったか?」
 城之内は慌てて手を放すと今度は両手で大事そうにそっと包みました。
「だ、大丈夫だぜ。ちょっとビリッときただけなんだぜ」
 焦る城之内を安心させるように遊戯は微笑みますが、ちょっと涙目になっています。遊戯の手を確かめると、手の毛が少し焦げているのに気が付きました。それも片手だけではありません。
「どうしたんだこれ」
 遊戯はもじもじしてなかなか理由を言おうとしませんでした。しかし、理由を言わない限り城之内が両手を包んだまま歩こうとしないと気が付いて、恥ずかしそうに小さな声で告白したのです。
「……タマゴを茹でてる時、うっかりナベに触っちまったんだぜ。でも大したこと無いんだぜ。ちゃんとすぐに冷やしたし」
 こちらの遊戯が兄と違ってとても不器用な事は城之内も知っています。だからわざわざ手作り弁当を用意してくれた事が嬉しくて、多少見た目が悪くても心から美味しそうだと思ったのですが、こうして苦労した痕跡を改めて知ると、嬉しい気持ち以上の愛おしさが込み上げて、今すぐ抱きしめてキスしたくなりました。
「遊戯ありがとな。こんな痛い目にあっても弁当作ってくれて」
「城之内くんは気にしなくていいんだぜ! オレが不器用だから……。こんなヤケド何でもないぜ」
 弱みを見せたがらない遊戯の事ですから、もしかしたら普通に手を握るだけでも痛かったのかも知れません。
 城之内は堪らなくなって遊戯を抱きしめると頬にそっとキスをしました。唇にしなかったのは重ねただけで終わらせる自信がなかったからです。
 それから城之内はいいからと断る遊戯からバスケットを無理矢理奪って持ちました。バスケットは見た目よりずっしりしています。遊戯のヤケドをした手ではどんなに辛かった事でしょう。城之内はそれに気が付かなかった自分を情けなく思い、同時に甘えてくれない遊戯に少しばかりの寂しさを感じました。
 まだ友達としての時間の方が長いせいでしょうか。遊戯はこいびと同士になってからもどこか遠慮気味というか、本心を隠しているような、よく分からないところがあるのです。
 城之内は左手で遊戯の手をそっと包むと歩き出しました。左手なら利き手でない分、握る力も緩いと思ったのです。
 最初はオレが持つぜと意地を張っていた遊戯も、城之内がどんどん足を速めると黙ってついてきました。途中で遊戯が小さな声でありがとうと言いました。とても小さな声だったのですが、耳の良い城之内にはちゃんと聞こえたのでシッポがぱたぱた揺れました。
 その後ふたりは気まずくない沈黙のまま、目的地のダイスヶ原に向かいました。
 



 ダイスヶ原は見晴らしの良い草原です。山の中腹が削れた形なので山の下の町や地面の果てにある海も少しばかり見る事が出来るのです。丁度草原は春の花が咲き乱れ、新芽の青臭さと花々の芳香が混じり合っていました。
 ふたりはそこでお昼にする事にしてバスケットの中身を広げると、一緒に頂きますをしました。城之内はパンの厚さもまちまちで中身が溢れそうな不格好さも気にせず、サンドイッチを旨い旨いと大喜びで食べました。
 遊戯は正直、相棒が作るサンドイッチの方が美味しい気がしたのですが、城之内がニコニコしながら食べてくれるので、自分が作った物もそう悪くないなと思いました。
 山の空気は美味しくて、春の日差しは暖かで、会えないでいた冬場の話などをしながら食べていると、遊戯は自分がリラックスしていくのを感じました。城之内からの手紙を受け取ってから、今日の日を毎日指折り数えてそれはそれは楽しみにしていたので、知らず緊張していたのでしょう。
 数ヶ月ぶりに会った城之内は、少しですが以前より身長が伸びて大人っぽい雰囲気です。しかも遊戯が好きなお日様色の髪や体毛は変わりなく、日差しの下でキラキラしてたいへんきれいでした。一緒にいると城之内の明るい笑顔や耳に心地よい笑い声などが心の中一杯に入ってきて、遊戯は妙にドキドキして恥ずかしい気持ちになりました。
 一方城之内はと言うと、最初どことなく気を張っていた遊戯が、食事をしている間にどんどんこいびとの顔つきになっていくのが分かって嬉しくなりました。普段の遊戯は体は小さくても童実野の森のゲームキングと称されるだけあって、それはそれはクールな表情でカッコイイのです。もともとウサギにしては珍しいつり目ですし、その目で睨まれたら乱暴者の熊だってそっと逃げ出してしまいます。
 そんな遊戯が今こうして食事をしながら話をしていると、頬はうっすらとバラ色が差し目元は夢見るように優しくて、こんなかわいらしい表情は兄の遊戯だって知らないのではないかと思うのです。
 しかも両手に持ったサンドイッチを小さな口で頬張る姿は理屈抜きで愛くるしくて、城之内はついついじっと見つめてしまいます。そうすると遊戯は恥ずかしいのかしょっちゅう目をそらしたり、時には自分の顔に何かついてるのかと触ってみたりそんなところも可愛くて、城之内は益々嬉しい気持ちになるのでした。
 やがて食べ物がぎっしり詰まっていたバスケットはきれいに空になりました。
「ごちそうさま。すげーうまかったぜ」
「どういたしましてだぜ」
 最後に残しておいたパンケーキをおやつに、果実酒を分けてちびちび楽しみます。相棒特製のパンケーキはしっとりと口に甘く、ふたりはそれまでにも増して幸せな気分になりました。



 お腹も満ちて話題もほどよく尽きる頃、ふたりは柔らかい新芽の上でそっと抱き合いました。冬の間の寂しさを埋めるようにお互いの体をなで回し、匂いを嗅いで互いの匂いを付け合います。自分とは違う匂いや毛並みの感触に、ふたりはどうしようもなくドキドキして長い間くっついていました。
 城之内が遊戯の顔に軽く口付けを落としていくと、遊戯はくすぐったいと身をすくめます。ちょっと逃げ腰になる遊戯の体を捕まえて何度もキスをすると、遊戯はうっとりした目で城之内を見つめ、自分からも城之内の顔にキスをしてくれました。
 城之内は嬉しくなって軽いキスを遊戯の唇へ運びました。何度もついばんで重ねている時間を長くしていくと、遊戯が唇に隙間を作ってくれたのでそっと舌先を入れてみました。
 最初は見つめ合って舌先を絡めていたのですが、城之内の舌が遊戯の歯茎や頬の内側になるところを舐め回し時々喉の奥まで探ろうとすると、遊戯は目を閉じてぎゅっとしがみついてきました。城之内はもっと遊戯の顔を見ていたかったのですが、同じように目を閉じるとゆっくり口付けを味わいました。
 遊戯の口の中は暖かくて甘い味がします。さっきまで食べていたパンケーキや果実酒よりも甘くて、ぬるついて弾力のある遊戯の舌は、なんだかそのまま噛みついて食べてしまいたい気分になりました。きっと今まで食べたどんな物よりも美味しい味がすると思うのです。
 もちろんそんな事をしたら遊戯は痛いと泣いてしまいますから、絶対に噛みついたりはしませんが、噛みつく勢いで遊戯の舌を貪りたいと思う気持ちは止めようが無く、ゾクゾクと寒気が背中を走りました。
 これ以上しているとホントに噛みついてしまうかも知れません。
 城之内は未練たらたらで唇を離しました。遊戯はぼんやり目を開けると小首を傾げます。声は発しませんでしたがもう終わりなのかと問いかけたかったのでしょう。その何気ない仕草がかわいくて、城之内はもう一度軽く唇を重ねました。
「そろそろ帰ろうぜ」
 自分の未練を断ち切るために城之内はわざと明るい声を出しました。本当はもっとイチャイチャしてエッチな事をしたいのですが、久しぶりなせいか遊戯とのキスが気持ちよすぎて、とても遊戯を傷つけないよう優しく触れる自信がありません。
 それにいくら春になったからと言っても、山の天気は変わりやすくお昼を過ぎると太陽はあっという間に山陰に入ってしまいます。城之内は寒さもへっちゃらでむしろ雪は大好きなくらいですが、遊戯はウサギの割に寒がりなのでした。
 遊戯はぐずぐずとそばに咲いている花を摘んだりしていましたが、城之内が空になった果実酒のビンや布をバスケットを仕舞って手を差し出すと、渋々手を伸ばして立ち上がりました。
 



「そうだ、相棒に山菜を摘んできてくれって頼まれてたんだぜ」
 ダイスヶ原からの帰り道、唐突に遊戯が言いました。
「今夜は山菜を天ぷらにするって言ってたから、城之内くんも手伝って欲しいんだぜ。どうせだから晩ご飯もうちで食べていけばいいんだぜ」
 確かにダイスヶ原まできたのなら、山菜がよく採れる賽の目の丘は小川を超えた先なのでついでと言えました。今の時期ならふきのとうが芽を出しているに違いありません。
 城之内はふきのとうの天ぷらのちょっとほろ苦い味覚を思い出してよだれを飲み込みました。兄の遊戯とも話したい事はたくさんありますし、夕食をごちそうになるのなら頑張って山菜をたくさん採っておくべきでしょう。
 ふたりは家までの帰り道を外れると、賽の目の丘に向かって歩き出しました。
 


 賽の目の丘へは山を削ったような崖に面した細い道が続きます。
「あ、あんなとこに生えてるぜ」
「ああ、オレが採るから遊戯はここにいな」
 道の片側は削れた山肌が塀のように連なっているのですが、時々ふきのとうが芽を出していました。遊戯の身長では崖を登らなくてはいけませんが、城之内なら一歩か二歩踏み上がるくらいで難なく採れるのです。
 そうやって摘んでいく間に、目的地に着く前からバスケットの中はいい感じで重くなっていきました。
 細い道が開けたところは小川が流れています。普段なら川の中に並べられた橋がわりの石がきれいな一列で見るのですが、雪解け水のせいか所々水に隠れていました。ぽつぽつと間を置いて見えている大きめの石も水しぶきで濡れ光っています。城之内なら大股で渡れる石の間も、遊戯には飛び移るくらいの勢いがないとどうにも無理そうです。
「あ〜〜こりゃダメだな。危ないから今日はやめとこうぜ遊戯」
 兄の遊戯が言ったとおりです。雪解けで水かさの増した川辺は油断すると流されてしまう危険地帯です。
 けれど、遊戯は首を振りました。
「大丈夫だぜ。オレは何度もこの石橋を渡ってるから、あの大きな石だけでもちゃんと渡れるんだぜ」
「でも濡れてるし、滑ったら落っこちるぞ。ふきのとうなら来る途中で結構取れたし、もう帰ろうぜ」
「ダメだぜ! 相棒にたくさん採ってきてくれと言われたんだぜ! 賽の目の丘ならもっと一杯採れる筈なんだぜ」
 遊戯は頑なに賽の目の丘に行くと言って聞きません。しばらく二人はその場で行くだ帰るだと言い合っていましたが、遊戯の手を城之内が引いて渡るという事で話が決まりました。
 本当のところ、城之内はこのまま帰りたかったのですが、遊戯は一人でも行くと言って聞かないので仕方なく妥協したのです。
「滑りやすいから気を付けろよ」
「大丈夫だぜ」
 遊戯の手を握り、城之内はそろそろと川を渡っていきました。遊戯はさすがに大きな口を叩いただけあって、ひょいひょいと軽快に飛び移りました。大きな石の間隔は城之内が思っていたよりもずっと狭くて、遊戯も大股になれば渡れるくらいの距離でした。
 順調に半分ほど渡れてお互い油断したからでしょう。遊戯は次の石に渡ろうとして、水に濡れた苔に足を滑らせました。
 あっと思った次の瞬間、遊戯の体は川の中に落ちて行きました。
「遊戯!」
 城之内は遊戯のヤケドの事も忘れて手を強く握りました。けれど、遊戯の重みでバランスを崩した城之内も石から落ちて、ふたりは冷たい水の中に飲み込まれてしまったのです。
 幸い水の勢いは激しくとも浅瀬でしたので、城之内はすぐに足をつけて流れがゆっくりな岸辺へ移動しながら遊戯を抱き上げました。
 落ちた時に手を放してしまったバスケットは流されて、そのうち視界から消えてしまいました。ちょっともったいないと思いましたが、バスケットよりも大事なのは遊戯です。
「大丈夫か遊戯」
「……ああ。すまない城之内くん。オレのせいでこんな事に……」
「ばっか、お前が無事ならそれでいいんだ」
 水から上がった城之内は一度遊戯をその場に降ろして身震いをしました。少し長い毛並みが水しぶきを飛ばしてばさばさ動きましたが、冬毛のアンダーコートまでは浸みていなかったのでさほど寒さは感じませんでした。
 遊戯は自分でびしょ濡れの頭巾を脱ぐと、それを絞って濡れた体を懸命に拭いました。元々ウサギは水に弱い生き物です。濡れたままで放っておくと、それが原因で病気になったりしてしまいます。遊戯も冬毛のアンダーコートのおかげで濡れたのは表面だけでしたが、柔らかい毛並みはぺったり体に張り付いて何とも痛々しい姿でした。
 城之内は遊戯を抱き上げると川辺のすぐ近くにあった新芽の絨毯に降ろしました。そこは日当たりも良くて濡れた体を乾かすのに丁度良かったのです。
 遊戯は寒さからかぶるぶる震えています。どうにかして早く体を温めてやりたいのですが、水気を拭き取れる布はバスケットと共に流されてしまいましたし、遊戯の頭巾は絞っても大して水気を吸い取ってくれません。身近に火の気もないのでこのまま日光で乾かすしか無いようです。
 城之内は遊戯の体を撫でて少しでも水気を取り除こうとしました。しかし、体毛が濡れて体に張り付いている姿はとても扇情的で、見ないように目を閉じて遊戯の体を触れば、逆に艶めかしい体の形を指先から感じてムラムラしてしまいます。こんな大変な時なのに最低だと自分を罵りながら、城之内は懸命に湧き上がる情欲を堪えました。
 何か遊戯の体を温める良い方法はないかと、城之内は決して良いとは言えない頭をフル回転させました。
 すると閃いたのです。ここへ来る途中、道の至る所でススキの穂が銀色に輝いておりました。雪にまみれた残り穂ですから、秋口のようにふわふわではありませんでしたが、あれを集めて体に寄せればきっと暖かいに違いありません。そうすれば遊戯の頬はピンクに戻って震える事も無くなるでしょう。
「遊戯、すぐ戻るからちょっと待っててくれ」
「行かないでくれ城之内くん!」
 さっき来た道を戻ろうとした城之内を、遊戯は抱きついて引き止めました。
「オレが君の言う事を聞かずに我が儘を通したから君までびしょ濡れになって、すまない」
「それはオレだって危ないと分かってて行く事にしたんだからお互い様だろ。気にすんなって。それよかオレ、ちょっくらススキの穂集めてくるぜ。そうすりゃ今より暖かくなるだろうし、途中で火打ち石見つけられるかもしんねぇし」
 城之内は遊戯の肩を抱いて安心させるように正直な気持ちを伝えました。けれど、遊戯はしがみついたまま離れようとしません。
「すぐ戻ってくっから。な?」
 宥める城之内の胸に顔を埋めた遊戯はただ首を振りました。そうすると遊戯の髪が揺れて、更にいい匂いがしました。
 よく見ると髪の毛の隙間から見える遊戯の頬は真っ赤です。もしかしてもう熱が出たのかと城之内は焦りましたが、顔を上げた遊戯は小さな唇を戦慄かせました。
「……君にあっためて…欲しいんだぜ」
 しばらく城之内は意味が分かりませんでした。けれど、遊戯の真意が伝わると、途端に同じくらい真っ赤になりました。顔ばかりでなく体中がかっかと熱を持って燃えているのを感じます。
「ゆ、遊戯……本気かよ……」
 己の都合良い空耳かも知れないので確認を取ると、遊戯は潤んだ瞳を逸らして頷きました。
 ゴクリと城之内は生唾を飲み込みました。遊戯の恥じらいぶりはそれが単に身を寄せ合って暖める事ではないと分かります。遊戯がそれを望んでいるのだし、そうする事は遊戯のためでもあるのです。カモネギ。遊戯はウサギなのでウサナベとでも言うのでしょうか。
 城之内はしばらく妄想世界をさ迷いましたが、腕に力を入れて遊戯の体を離しました。
「わりい……。すげぇチャンスだって思うけど、絶対遊戯に酷い事しちまう……。そんなのは嫌なんだ。オレはお前に惚れてんだ。遊戯をオレのせいで傷つけたり痛い思いをさせたくねぇ……」
 城之内はなるべく冷静な声で伝えました。体は今すぐにでも遊戯を貪りたい衝動で一杯ですが、そんな酷い事は出来ませんし心底したくないのです。
 苦しげに本音を打ち明けた城之内を、遊戯は恐れる事もなくむしろさっきよりもいっそう強い力で抱きついてきました。
「いいんだ城之内くん。オレは君がオレをどんなに大事にしてくれてるのか知ってるぜ。オレはウサギで君は山犬だ。君がその気になればオレなんていつだって好きに出来るはずだ。でも、オレのために我慢してくれてる城之内くんだから、オレは君になら酷くされてもいい。オレは君になら、何をされても、いいんだぜ。だって、オレは、君の――こいびとだろう?」
「遊戯…!」
 もう遠慮は必要ありません。城之内は腕の中の小さな体を強く抱きしめました。触れ合う部分を大きくすると、遊戯の鼓動が自分と同じくらい速い事に気がつきました。しかも足になにやら固い物が当たるのです。ちょっと信じられない思いで手を伸ばすと、それは確かに遊戯の勃ち上がった性器でした。
「遊戯……」
「ん……」
 軽く握り込むと遊戯は身をすくめましたが、逃げようとはしませんでした。嬉しくなってそのまま弄っていると、それはどんどん大きくなって先っちょがヌルヌルしてきました。
「じょ、……のうち、く…ん」
 熱い吐息を零しながら遊戯が唇を求めてきました。熱くなった体もせわしい呼吸もふたりはまったく同じです。好きな相手と触れ合って気持ちいいとか愛おしいとか同じ気持ちになるのですから、ウサギと山犬だなんて違いは大したことではないのだと思えました。
 ふたりは何度も深い口付けを交わしてそれぞれが望む快楽に溺れていきました。



 結局城之内は最後までしませんでした。遊戯は何度も、賽の目の丘に行くんだと言い張っていた時よりもしつこくそれを求めてくれたのですが、さすがに初めて同士ですんなりいく筈がありません。それに最後までしなくてもお互い触り合ったり口で舐めたりするだけでも十分すぎるくらい気持ちよくて幸せだったので、城之内は無理に我慢をしているわけでもなかったのです。そう本心を伝えて、遊戯の方が物足りないのかと聞いてみますと、遊戯は自分ばかりが気持ちよかったのだと思っていたらしく、心配していたのでした。
 同じ男同士なのだから気持ちよさも一緒だと言うと、遊戯は安心して笑顔になりました。遊戯はウサギと山犬では食べ物の好みが違うように、そう言った事も違いがあるのかと思っていたというのです。
 城之内はうぶなこいびとを益々愛おしいと思いました。
 ふたりでエッチな事をしている間に遊戯の体毛はほとんど乾いておりました。けれど、拡げて干しておいた頭巾はまだ湿っていましたし、バスケットも川に流してしまったので、何事もなかった顔で帰る事は出来ません。
「……相棒に怒られるぜ」
 しょんぼりする遊戯に城之内はオレも一緒に謝るからと慰めました。
 それからやっと、ふたりは薄暗くなりつつある山の中を手を繋いで帰ったのです。




 家に着く頃には童実野の森は薄闇に包まれていました。兄弟の家には暖かそうな灯りが点り、煙突からは白い煙が一筋伸びています。
 少しためらったあと、遊戯は意を決して家のドアを開けました。
「た、ただいま、だぜ」
「お帰り〜。今日は風が冷たかったから体が冷えたでしょ。そう思って今夜はあったかいスペシャルスープだよ。昼間からじっくりだしを取ったから自信作なんだぜ」
 相棒はふたりを迎えるとスープ鍋の火を見るためにまた台所へ戻っていきました。遊戯はバスケットの事を話さなくてはとその後ろを付いていきます。
「あ、あの、相棒……」
「遊戯、わりぃ、バスケット無くしちまったんだ」
 遊戯が言いにくそうにしていたので、城之内は約束通り自分からも謝りました。
 相棒は何故バスケットが無くなってしまったのか今日の出来事を知ると、慌ててふたりを暖炉の前へ追い立てました。
「バスケットなんかよりふたりの体の方が心配だぜ。ちゃんと冷えた体をあっためなくちゃ! ふたりともケガはしなかった?」
 遊戯と城之内はコクコクと頷きます。
「良かったぜ〜〜」
 ホッとした相棒は遊戯にぎゅっと抱きつきました。
「今日はダイスヶ原に行くだけだって言ってたから安心してたのに。もう、君ってば城之内くんがいてくれたから助かったんだよ? これに懲りて二度と無茶な事しちゃダメだぜ…!」
「心配かけてすまないぜ相棒」
「……?」
 城之内は兄遊戯の言葉に引っかかりを覚えました。そう言えば朝見送られる前に交わした会話で、城之内はダイスヶ原に行くだけだと言いました。けれど、兄遊戯が遊戯に山菜を採ってきてくれるよう頼んでいたのなら、賽の目の丘へは小川を渡らなければ行けないと知っている筈なのです。それに遊戯の話では夕食は山菜の天ぷらだと言っていましたが、兄遊戯は昼間からだしを取ってスープを作っていました。
「……あのよう遊戯、頼まれてた山菜…」
「お腹すいたぜ相棒! 早くご飯にしようぜ! さ、城之内くんも座ってくれだぜ!」
 山菜の事を兄遊戯に確かめようとした城之内の問いかけを大声で遮って、遊戯は城之内を食卓の椅子に無理矢理座らせました。
「そうだね。今日はお腹一杯食べてゆっくり休まなくちゃ」
 相棒はいそいそと台所へ戻るといい匂いのするスープを鍋ごと運んできました。
「一杯作ったから沢山食べてね」
 さんにんは一緒に頂きますをして楽しく食事をしました。スープは相棒の自信どおりとってもおいしかったので、城之内は遠慮せずに何度もお代わりをしました。そして城之内は自分の引っかかりなど大した事とは思えなくなったので、そのまま忘れてしまいました。



 食事のあとは暖炉の前でおやつを食べたり話をして楽しんでいたさんにんですが、夜も更けてそろそろ休もうと寝床へ向かいました。
 城之内はもう遅いので泊まって行く事になり、兄遊戯が昼間のうちにちゃんと用意してくれていた空き部屋のベッドに潜り込みました。ベッドの中は清潔なシーツと柔らかな干し草の弾力で、あっという間に眠りに就いてしまいそうな心地良さです。
 城之内はすぐに眠るのはもったいない気がして昼間の遊戯の姿を何度も思い返しました。はにかんだ笑顔も意地を張った目元も甘くとろけていた表情も全部覚えています。
 かわいいこいびとの記憶に浸りながら、城之内はゆっくり眠りに就きました。



 城之内が幸せな眠りに就いた頃、兄弟はベッドの上に正座して膝をつき合わせておりました。
「川に落ちてバスケットが流れたのは分かったから。ボクが聞いてるのはどうして賽の目の丘に行こうとしたかって事だよ。城之内くんが山菜って言いかけてたけど、君、わざと話をはぐらかしただろ」
「……ごめんなさいだぜ」
 伊達に生まれてから一番長く付き合っている相手ではありません。相棒は城之内が感じた引っかかりにちゃんと気が付いていたのです。遊戯が城之内に知られたくないようでしたのでその場で問いただす事はしないでおいた相棒ですが、ふたりきりになったら容赦はしません。口を閉ざした遊戯が自分から告白するまで眠らせない気構えです。
 遊戯は隠し通せないと諦めて話し始めました。ダイスヶ原の帰り道に相棒から山菜を採ってきて欲しいと言われたのだと嘘を吐いて、賽の目の丘に向かった事をです。
「……城之内くんともっと二人きりでいたかったんだぜ……」
 そう打ち明けた遊戯は恥ずかしいのか真っ赤な顔になりました。相棒は多分そんな理由だろうと察しは付いていたのですが、危ない事をして城之内まで危険な目に遭わせたのですからこのくらいは当然の罰です。
「今日こそはキス以上までしたいと思ってたのに、ダイスヶ原でいい感じだったのに帰るって言うから……」
「わ、分かったぜ。もういいから。……ボクこそ、ゴメン……」
 さすがに相棒もそこまで立ち入った事を聞く気はありませんでした。ふたりが付き合っている事を応援している身ではありますが、ふたりがどこまでの関係かなんて下世話なのでなるべく考えないようにしていたのです。
 何となく気まずい空気になってしまい、相棒はこほんとひとつ咳払いをしました。
「あのね、冬の間考えてたんだけど、今年の冬、城之内くんが良ければこの家に住んでもらったらどうかな」
「……え?」
「部屋は余ってるし、城之内くんひとりぐらいなら食べ物だって困らないと思うんだ。足りなさそうなら秋のうちにうんと蓄えとけばいいんだし」
「……いいのか相棒」
 戸惑いながら訪ねる遊戯の瞳は不安の色ながら期待でキラキラ輝いていました。一瞬早まったかと思いましたが、冬の間手紙の遣り取りに一喜一憂している姿を見てきたので、可能ならばそれが一番いいのではないかと考えていたのです。好きなひとに長い間会えないのはとても辛い事です。相棒も出来る事なら山猫のこいびとと一緒の家に住んでみたいと思うのですから。
「城之内くんがいいよって言ったらの話だぜ」
「嬉しいぜ相棒! ありがとうだぜ!」
 遊戯は相棒に抱きついたかと思うと、早速城之内くんに言ってくるぜと立ち上がりました。
「ダメだよ城之内くんはもう寝て――大丈夫?」
「……お、おう」
 慣れない正座のせいで足が痺れた遊戯は、気合いも虚しくベッドの上に倒れてしまいました。
「今日はもう寝ようよ。城之内くんには朝になったら話してみようぜ」
「朝になるのが待ちきれないぜ…!」
 涙目になりながらも鼻息の荒い遊戯の足を撫でさすりながら、相棒はやっぱり早まったかなぁと少し思いました。そして城之内が同居する事になったら、その時はふたりで同じベッドに寝る事も同じ部屋を使う事も無くなるのだろうなと思いました。それはなんだか心にすきま風が吹き込むような寂しさを感じたのですが、遊戯がとても嬉しそうにしているので黙っておきました。
 やがて足の痺れも収まったので、兄弟はお互いにふとんを掛け合いお休みなさいをしました。
 嬉しくて眠れないぜと呟いていた遊戯はすぐ眠ってしまいました。相棒は冬場何度訪ねても顔を見せてくれなかったつれないこいびとを思い出し、それでも、心に暖かい物を感じたので安心して目を閉じたのでした。


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