壊れる日



■3

「10代目。明日、来られますよね?」
 いつもの様に学校から家まで送られてきた綱吉は、獄寺の言葉にすぐ返答できなかった。獄寺は口調こそ淀みなく軽かったが、表情は酷く真剣で、口端は上につり上がっているが目が笑っていない。まるで拒否することは許さないと言わんばかりの気配に、綱吉は嫌でも先週末のどうにも気まずい甘ったるい時間のことを思い出してしまう。
 獄寺の「明日」と言うのは週末の「勉強会」のことだ。綱吉は「勉強会」が嫌なわけではない。ただ、獄寺と獄寺のマンションで二人きりにはなりたくなかった。獄寺に縋るような目をされるときっと流されてしまう嫌な自覚があった。
 先週獄寺の元を飛び出した帰り道、自分のスタンスをきちんと説明すれば分かりあると楽観視したのがいけなかった。そもそも週明けの思いがけない山本の告白絡みのどたばたで、獄寺との気まずさが有耶無耶になって助かったと思った綱吉は、改めて獄寺と話し合うことを忘れていた。
 不自然に間が空いてしまい、獄寺の眉間に皺が刻まれる。綱吉はつい助けを求める気持ちでその名前を口にした。
「あ、あの、「勉強会」のことなんだけどさ、……山本も誘っちゃダメかな…?」
「なんで野球バカがそこで出てくるんスか?」
 獄寺はあからさまに不満げだった。
「オレ、獄寺君に勉強教えてもらうようになって、まぁ、リボーンのスパルタのせいもあるけど、昔よりは補習の数も減ったしすごくありがたいと思ってるんだけど、……どうせなら山本も一緒に勉強できないかなぁって思ってたんだ。山本は部活や家の手伝いで時間がなくて勉強が出来ないだけで、ホントはオレより頭の出来はいいんだし、補習の数が減ればみんなで遊べる機会も増えるし、その……」
 綱吉が理由を語れば語るほど、獄寺の機嫌が目に見えて悪くなっていく。失敗したと後悔する綱吉に思わぬ助け船が出た。
「ツナにしてはいい思いつきだな」
「リボーン!」
「リボーンさん!」
 いつからそこにいたのか、相変わらず神出鬼没な家庭教師は家の塀にちょこんと座っていた。
「ツナも獄寺と普通に付き合えるようになったことだし、次は山本と獄寺の関係を密にする番だな。ファミリーは横の関係も重要だぞ」
「なっ、ファミリーって、まだ山本を狙ってんのかよ。山本は野球一筋のスポーツマンなんだからな! 勝手なことすんなよ!」
「うるせえ。明日から「勉強会」は山本を入れて三人でしろ。分かったな」
 ジャキーンとライフルを向けられて、綱吉は染みついた反射で両手を挙げる。
「……分かったよ。……もう、立ち聞きなんかしてんなよな」
 着々とファミリー増強に力を入れるリボーンに納得がいかないながらも、綱吉は獄寺との気まずい空気が消えて内心助かったと安堵した。
「ツナ。お前が帰ったら手伝って欲しいことがあるとママンが言ってたぞ。すぐ行け」
「えー? 何だろめんどくさいなぁ」
「早く行きやがれ」
「分かったよ。じゃあ、獄寺君また明日。山本にはオレから連絡しておくからよろしくね」
「はいっ! 了解しました!」
 ビシッと両手を身体につけて頭を下げた獄寺に、綱吉は手を振って家に入った。ドアを閉める時に振り返ると、塀の上のリボーンは獄寺と話をしているようだった。丁度塀に隠れて獄寺の姿は見えず、リボーンの声もよく聞こえなかった。




「さっき、獄寺君と何話してたんだ?」
 夕食時、何となく気になった綱吉はリボーンに尋ねてみた。獄寺とリボーンが綱吉のいない所で話をすることは今まで何度となくありはしたが、今日はまるで綱吉に話を聞かれたくなくて追い払われた気がしたのだ。それが証拠にひとまず制服から部屋着に着替えた綱吉が、『何か用事?』と自分からキッチンに赴いた時、母はきょとんとした顔で『ご飯ならまだよ』と返してきた。
 リボーンは小さな手でお椀をつかむとみそ汁を啜る。
「犬に餌をやりすぎるのは良くないぞ」
「犬?」
「手なずけるのはいいが、勘違いさせるな」
 まるで先週末の出来事を全て知っているかのような言葉に、綱吉はかあっと頬を染めた。
「ご、獄寺君は犬じゃないし! そりゃ、獄寺君は部下気取りだけど、オレは友達だと思ってるんだ。変なこと言うなよ」
 リボーンは無表情のままで、綱吉はもやもやとした気持ちを飲み込むように茶碗の中の物をかき込んだ。




 翌日、三人になった「勉強会」は綱吉の心配も杞憂に無事終わった。初めて獄寺のマンションを訪れたという山本は最初こそきょろきょろと落ち着きがなかったが、すぐに綱吉の部屋で過ごすのと変わらないくらいリラックス姿勢で、宿題ばかりかリボーンの課題をついでだからと解いたりしていた。綱吉が山本の名前を出した時不機嫌だった獄寺は、綱吉にはどこまでも礼儀正しく気を遣い、山本には『てめえに食わせるもんなんかねえよ』と罵りながらも飲みものを出すぐらいにはちゃんと受け入れていた。
 何より綱吉が安心したのは、山本がいればいつもの三人でいる時と変わらない空気だということだった。学校や綱吉の部屋で過ごすのと同じ、ある意味健全な状態で。

「いつもこの後は何してんだ?」
 宿題と課題を終わらせてジュースを飲みつつまったりしていると、山本が何気なく聞いてきた。綱吉は一瞬言葉に詰まる。
「な、何って、獄寺君に録っておいてもらったTVを観たり、――先週は映画のDVD観たよ」
 それがどうしたのと平静を装うと、山本は綱吉と獄寺の顔を一通り眺めてへえと感嘆の声をあげた。
「二人とも真面目なのな。オレだったらここぞとばかりに酒飲んだりすっけどな」
「さ、酒って、オレ達中学生だよ?」
「あ〜〜、オレうちの親父の晩酌に付き合わされてっからホントは酒飲んじゃ駄目な歳だって忘れるのな。野球部の奴らも似たような奴多いし」
 さらりと問題発言をされた。
「ええ? だってそんなのバレたら謹慎処分になったりするんじゃないの? ほらよく高校野球とかさ」
 同意を求めるように獄寺を見ても、獄寺は高校野球に元々興味がないのだろう、小首を傾げて「バレなきゃいいんじゃないっスか」と返してきた。
「どうせバレて困るのは野球バカだけですし。ビールならありますけど、10代目も飲まれますか?」
 腰を上げた獄寺はキッチンへ向かうと冷蔵庫を開けて数本缶ビールを取り出した。綱吉は返答に困る。
 以前『御自由に好きなもの飲んで下さい』と言われたことはあったが、綱吉は人の家の冷蔵庫を開けるのに抵抗があったので中に何が入っているのか知らなかった。自分で買ってきた飲みものや要冷蔵の菓子も、獄寺が冷蔵庫へしまい必要な時に出してくれる状態で、まさか酒が常備されているとは思わなかった。
 それが今、当たり前のように山本が缶ビールを受け取り、「やっぱ獄寺はビールも外国ものなのな」と感心する言葉を聞いてやっと、既にこの場が2対1で自分だけ飲まないと白けさせてしまうのではないかと不安になった。それがありありと顔に出ていたのかもしれない。
「別にツナは無理に付き合うことないぜ? 飲み慣れてないと不味いだけだからな」山本は今度親父の酒くすねてくるわと獄寺に言って、プシッとプルタブを開けた。
「……オレも飲む」
「大丈夫スか10代目」
「別に飲めなくても恥ずかしいことじゃないぜ?」
「飲む…!」
 心配そうな顔をした獄寺から缶を受け取り、綱吉は知らず詰めていた息を吐いた。酒を飲んだことが無い訳でもないし、法律で禁止されているとはいえ仲間内の軽い一杯くらいはよくある「若気の至り」というモノだ。
 酒を飲むのに抵抗を感じた一番の理由は、一瞬父親を思い出したせいだ。綱吉が幼い頃から不在がちだった父は、珍しく家にいる時は酒を飲んで酔いつぶれていることが多かった。そしてその父は1年以上前から行方不明で、最初の頃こそ安否を心配し寂しさや悲しさを感じたりもしたが、今では存在を思い出すことさえ煩わしい。
 んじゃ、乾杯〜と山本ののんきな声に軽く缶の縁を合わせて遠慮がちに含む。美味しいとは思わないが苦い炭酸と思えば飲めなくもない。綱吉はソファーの端を背もたれにしてスナック菓子をつまんだ。
 山本と獄寺は飲み慣れているようで顔色一つ変えず、すぐに2本目の缶に手を伸ばした。
 しばらく3人の話題はクラスや学校のこと、TVやアイドルなどの雑談だった。特に大笑いするポイントもないがアルコールのせいか妙に楽しくて、綱吉はよく声をあげて笑った。友達とちょっと悪いことをしながら盛り上がるだなんて、今まで全くなかったせいで自然と気持ちが高揚していたせいもある。
「そーだ、忘れてた。せっかくだから持ってきたのな」
 山本はアイドルの話の途中で思い出したと一人ごちながら自分のカバンをたぐり寄せる。ごそごそ中身を探って取り出したのは表紙からしていかにもなエロ本だった。
「なななな何でそんな本持ってんだよ山本ッ!」
 裸ではないが黒いレースが女体の肌と対比して艶めかしい表紙に、綱吉は飲みかけのビールを吹き出す勢いで問いつめた。
「これ野球部の備品なのな。アニキがいる奴がお下がりで貰ってくるからちょっと古いんだけど、これはけっこー新しいやつだぜ。ツナの家だとちび達がいるから持ってく訳にいかねーし、たまにはこーゆー話題もどうかなって」
「備品て! そんなの持ってきて大丈夫なの? つうか、野球部の部室ってとんでも無くエロゾーンなの?」
 綱吉の突っ込みに山本はいつものさわやかな笑顔を返すばかりだ。
「へーきへーき。月曜に戻しときゃいいし。大体週末はみんなオカズ用に持って帰るから」
「……オカズ……」
 それがどんな意味か、さすがに鈍い綱吉にも分かる。けれど、まだまだ性的にウブな綱吉は自慰の時にエロ本を使ったことはなかった。山本の言うとおり家にはちびっ子達が居候中でそんな本は置いておけないし、そもそも綱吉はアイドルの水着グラビア雑誌さえも人目が気になって買ったことがないのだ。
(や、野球部って…! 山本……じつはけっこーエロい…?)
 男の生理を教えてくれるはずの父親が行方不明でなおかつ友達がいなかった綱吉には、山本の堂々とした姿がかなり大人びて見えた。そして今までそんな話題がこの三人でいる時に出なかったのが、今時の中学生同士では少し不自然だということには気が付かなかった。
 呆気にとられたままの綱吉を気にした風もなく、山本はテーブルの真ん中に置かれていたつまみの菓子を脇に寄せ、エロ本の適当なページを広げて置いた。
「お前らこん中ならどの子が好み?」
 そんな急に言われてもと言いつつ好奇心から目を向けると、それは広告のページなのか店の名前や簡単な説明の隣に裸の女性が何人か写っていた。どの女性も茶色の長い髪に同じような笑顔だ。
 綱吉は初恋が京子なので面食いの気があるのだが、京子を見た目だけで好きになったわけではない。親切で優しくてちょっと天然、そんな性格に癒され憧れていたので、こうして外見だけで選べと言われてもすぐには決めかねた。そもそも自慰の時も特定の相手を想像したことがない綱吉は、恥じらい無く裸をさらけ出した女性に興奮するより怖じ気づいてしまう。
「……この中にはいない…かな」
「そっかー。獄寺はどうだ」
 綱吉は山本の言葉でやっと、エロ本を出されてから獄寺が何の反応も示さず黙り込んでいることに気がついた。それまでは酒を飲みながら会話に混じっていたのに、今は暇そうに煙草を吸っている。
 獄寺は山本に話を振られてもめんどくさそうにじろりと睨みつけただけだった。不機嫌な態度に綱吉が視線を向けると、目が合った獄寺はふいと視線を外しいかにもどうでもいいような声でいないと答えた。
「オレはこの子とかかわいーと思うけど」
「……胸、おっきーね……」
 他の女性より髪が黒めなぐらいでそのくらいしか反応を返せない。
「んじゃあ、こっちとかは?」
 山本がぱらぱらとページをめくって新しい紙面を見せてくる。それはレースの下着を身に纏い微笑んでいる女の子達で、綱吉は少し安心した。下着姿もドキドキしてしまうが、裸よりはマシだ。むしろ未知の世界なのでついついじっくり見てしまう。
「……この子、かわいい…かも」
「あーやっぱり。ツナが好きそーだよな」
 綱吉がショートカットで目の大きな少女を指さすと、山本はすかさず相づちを打った。
「何で?」
「だって笹川に似てんじゃん」
「きょ、京子ちゃんは関係ないよ。つうか、こんな時にクラスの女子の名前出すの禁止! 後ろめたいじゃんか!」
 綱吉が赤くなったり冷や汗をかいたり狼狽えながら窘めると、山本は無邪気な笑顔で詫びた。
「……獄寺君は興味ない?」
 綱吉と山本が盛り上がるのに反して獄寺があまりに無反応なので、綱吉は少し心配になった。元々山本を誘いたいと言いだしたのは綱吉で、獄寺はなんだかんだ言いつつちゃんと山本にも気を遣ってくれていた。しかし、本当は早く二人を帰して気楽になりたいのではと綱吉が気を揉んでいると、獄寺は少し困った顔をして煙草を消した。
「あー……その、すいません」
 何故か綱吉に謝った獄寺は腰を上げ、別の部屋に消えたのち雑誌をいくつか持って帰ってきた。
「うかつに捨てるとガキが見つけた時やばそうだからやるわ」
「おっ? サンキュー」
 獄寺から雑誌を渡された山本はそのうちの一冊を何気なくめくってむせかえった。
「こっ、これっ、無修正だぞ?」
 真っ赤になった山本がそのページを見せてきたので、綱吉も恐々確認して赤面した。外国の雑誌らしく金髪碧眼で巨乳の女性があられもないポーズで寝ころんでいる。
「いらねーって言ってんのにエロ医者が押しつけてくんだよ。あいつ絶対自分が飽きたやつをまわしてんだぜ。オレはゴミ箱じゃねーっつの」
 吐き捨てるように獄寺が説明してきたが、綱吉と山本はうわの空で次々ページをめくってはどよめいた。
「こ……れは確かにヤバイ。部室に持ってったら間違いなく停学になる。……どうするツナ」
「ええ? オレんちは絶対無理だよ! それこそちび達には目の毒だし、リボーンや母さんに見つかったら気まず過ぎるし」
「じゃあ……一応オレが預かっとくな。……獄寺お前……すげーもん見てるのな」
「向こうじゃ基本無修正だからな。最初はもの珍しいだろうけど、そればっかだから飽きるぞ」
 狼狽えまくりな綱吉達に反して、獄寺は学校の授業中よりもつまらなそうに淡々としている。
「……そ、そうなんだ? 獄寺君は大人だな……」
「え、いや、エロ医者が無理矢理押しつけて来るだけで、オレは好き好んで見てる訳じゃ――ごごご誤解です10代目っ!」
 急に獄寺がエロ本を開いていた綱吉よりも真っ赤になって弁解しはじめたせいで、その場は笑いに包まれた。



 ほろ酔い気分で足下がふらつく綱吉を山本が送っていくことになり、「勉強会」はお開きになった。
「大丈夫かツナ」
「うん。全然大丈夫だよ〜」
 普段は甘い炭酸飲料しか飲まない綱吉には缶ビール一本で酔いが回っている。幸い深夜の住宅街は人気もなく、中学生がふらふら歩いていても咎められる心配はない。
「獄寺からの本、オレんちに置いとくから、いつでも見に来ていいぜ」
「うん。……でも、あんまり見るとやっばい気がしてちょっと怖い感じもする……」
「あ〜〜。さすがにモロ見えは刺激強すぎるよな〜」
 しかし、そう言ったことに興味津々な年頃の二人は、本の隠し場所だとか見つかった時の言い訳だとかを相談しながら帰り道を歩いた。
「……獄寺君て、ちゃんと女の子に興味あったんだね」
 山本との会話が途切れてから、綱吉はぼんやり思っていたことを口にした。
「あ、変な意味じゃなくって、獄寺君、もてるのに女の子に冷たいって言うか、どうでもいいみたいな態度取るから。……でも無理矢理押しつけられたんでも、雑誌とって置いてるってことは、さ」
「ま〜〜、ビアンキ姉さんのせいで苦手っぽいけど、全くないってことはねーんじゃねえ? オレもヒバリが気になるけど、女の子はフツーに好きだし」
「そ、そうだよね……」
 どれ程可愛い女の子に言い寄られても相手にしない獄寺でも、そう言った気分の時はあの手の雑誌を使うのかも知れない。むしろ、グラマラスな女性のグラビアに慣れていれば、幼い日本人ではそそられないのかも知れないと予想して、綱吉は下世話なことを考えている自分が嫌になった。
 しかも獄寺が普通の男のように異性に興味を持っていると分かったことに、自分がそこはかとなくショックを受けている状態にも動揺していた。
(……オレ、誤解してたんだ。獄寺君がいっつもオレばっかり構うから、先週はエッチっぽいことされたから、もしかして獄寺君て女の子に興味ない人かと。もしかしてオレが好きなのかなとか……うわ、オレサイテー!)
 綱吉は家に帰り自分のベッドに潜り込んでからもぐだぐだ獄寺のことを考えていた。だからかも知れない。夢に獄寺が出てきた。
 夢の中の獄寺は女の子だった。きっと無修正のエロ本の衝撃が凄かったせいだと、目覚めてからの綱吉は冷静に考えたのだけれど、夢の中では当然夢だとは気付いていないので、
(そっかー。獄寺君はホントは女の子だったんだ。だったら、オレにベタベタしてたって変じゃないよねー)
 などと思いながら巨乳の獄寺に抱きしめられてデレデレしていた綱吉は朝になって夢を思い出し、なんてもの見てんだオレはと絶叫したい所をリボーンに気を遣って我慢して、ベッドの上で転げ回ったりした。
 獄寺に失礼な予想をしていた反省と恥ずかしい夢のせいで、綱吉が気まずさから獄寺によそよそしくなったのは仕方のないことだった。
 けれど、それは獄寺に別の誤解を与え獄寺を追い込む原因になることを、綱吉は知るよしもなかった。

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