壊れる日



■1

 四時間目の授業中、綱吉は背後からの熱い視線に気付いた。それは今日のこの時が初めてではなくて、もうかなり前から、今日も朝から感じていたものだった。最初の頃は気のせいかと思いそのうち自意識過剰だと反省し、やっぱりそうだ何で見てんのと訝しがり、だんだん獄寺君はそう言う人だから…と気にしないように努めてきたのだが――。
 綱吉は教師が黒板に文字を書いている隙を見て、ちらりと視線の元に振り返る。目が合った獄寺は一瞬驚いたように眼を見開いて、すぐにニカッといつもの笑顔を見せた。
 綱吉はぎこちなくも小さく笑みを返し、視線を手元のノートに戻す。少し胸苦しくてそっと息を吐き出した。
 この頃獄寺から向けられる視線が、以前とは違うような気がしてならない。妙にまとわり付く熱い眼差しで見つめられると、じわじわ身体の中から熱が生まれてどうにも落ち着かなくなる。
(きっとあの時の――獄寺君の家で、あれからだ……)



◇ ◇ ◇



 一ヶ月程前から、綱吉は獄寺の家で週末を過ごしている。名目は「勉強会」で、夕食と風呂を済ませてから獄寺の家に行き、着いたらすぐに宿題やリボーンに出された課題をするのだ。最初ほどではないにしろ、綱吉はまだ獄寺を怖がっていたし、獄寺は綱吉を崇拝するあまり空回っては騒ぎやもめごとを起こすので、綱吉が苦手で獄寺は得意分野とする「勉強」の時間を定期的に持たせて二人を互いに慣れさせようというリボーンの目論見からだった。
 「勉強会」をしろとリボーンに指示された時、綱吉は獄寺と二人きりになる状況を心底恐れていた。けれど、いざ始めてみれば獄寺は綱吉にとってちょうどいい家庭教師だった。分からないところは何度でも嫌な顔せず教えてくれ、綱吉の集中力が思わしくない時は率先して休憩時間を作り、飲みものやおやつなども用意して綱吉が居心地いいように気を遣ってくれる。
 しかも二人きりで誰も乱入しなければ、獄寺はダイナマイトを取り出さず、怒鳴り声も上げない。せいぜい未来の綱吉とボンゴレファミリーについての妄想を熱く語るぐらいだ。
 そんな訳で綱吉は獄寺に対して怯えることもなく、綱吉のために役に立っていると実感できる獄寺は綱吉の自然な態度や勉強で頼られることが嬉しくてたまらない。自然と笑顔ばかりになるので、こうしてると獄寺君てホントに顔がいいんだよなぁと、綱吉が観察できるくらいに二人の「勉強会」は上手くいっていた。
 綱吉の記憶が正しければ、変化の兆しは「勉強会」を始めて3週間目。
 宿題とリボーンからの課題をどうにか片づけた綱吉は、獄寺がDVDプレイヤーで録画してくれていたTV番組をソファーに座ってのんびり観ていた。
 そんな時、自分用のミネラルウォーターのペットボトルを手にやってきた獄寺が隣に座ってもいいかと聞いてきた。
 綱吉はきょとんとしながら『いいよ』と答えた。獄寺の家なのだから好きなところに座ればいいものを、獄寺は綱吉をもてなさなくてはと言う意識が強いのか、常にキッチンに近い床に座りソファーを背もたれにしていることが多かった。
 ソファーの真ん中に座っていた綱吉が、獄寺が座りやすいようにもう少し外側に寄ろうと腰を上げると、獄寺は慌ててそれを止め、綱吉が元の位置に座ったのを確認してからぎこちなく、子ども一人分ほどの隙間を空けて座った。
 翌週末、綱吉がいつも見ているTV番組はスポーツ中継で放送されなかった。すぐに帰っても良かったが、この数週間で「勉強会」の後はソファーに座ってくつろいでいくのが習慣になってしまいダラダラしていると、そんな綱吉の気持ちを察したのか単に自分が綱吉にいて欲しいだけなのか、獄寺が『前から気になってた映画借りてんスけど、一緒に観ませんか?』とDVDのタイトルを見せてきた。
 それは綱吉も知っている原作がゲームのホラーアクション映画で、公開時から興味はあったのだが、恐がりの綱吉が暗い映画館でホラーなど(アクションシーンが入っていても)観られる訳がない。けれど、ここは獄寺の家で部屋は明るく、獄寺なら綱吉が怖がっていても笑ったりバカにしたりはしない。綱吉は二つ返事でいつものようにソファーに腰を下ろした。
 獄寺は綱吉のために飲みものと菓子を運んだあと、妙に上擦った声で『オレ、こーゆーの苦手なんで、10代目にくっついてていいですか?』と聞いてきた。
 じゃあ何でそんな映画借りてくるんだよと綱吉は思ったが、自分も恐がりなくせに観てみたいと思っていたし、獄寺は根っからのマフィアでありながらオカルトチックな現象に畏怖の感情を持っていて、以前巨大化したエンツィオを山の神だと思い込み、怒りを静めるために祈りを捧げていた姿を思い出した。
 綱吉にとっては血なまぐさいマフィア話の方がよっぽど怖いのだが、獄寺もマフィアであることを置いておけば普通に自分と同じ中学生なんだと嬉しくなった。
 だからいいよと綱吉が答えると、獄寺は頬を赤らめながらいそいそと綱吉の背後に回り、綱吉を抱き込むようにしてソファーに座った。
『……これ、変じゃない?』
 予想外のくっつき方に綱吉が照れくさくて確認すると、獄寺は強く否定した。
『ここここのくらい友達なら変じゃないっスよ! 野球バカだって10代目にしょっちゅう触ってます。あいつは10代目にとって「友達」ですよね?』
『うん』
『じゃ、じゃあ、フツーのことっスよ!』
 いくら山本がスキンシップが多いからと言って、こんな恋人同士のような座り方はしないだろうし、獄寺は綱吉が『自分はマフィアになる気はない、10代目と呼ぶのはやめて欲しい、部下とボスなんて嫌だ、友達でいいじゃん』と何度繰り返しても、『とんでもないです。貴方以上のボスなんてあり得ません!』とお互いの立場は違うのだとアピールしてきた。それなのに何故急に自分と綱吉は「友達」だと言い出したのかよく分からなかった。
 けれど、元々綱吉は面倒くさがりなので、途中で獄寺の行動について深く考えるのをやめた。怖いことや痛いことなら速攻で逃げたり断るが、ただソファーに座っているだけなのだし、いつもと違う獄寺の態度は友達でいたいと言った綱吉に歩み寄ろうとしてくれているように思えたのだ。
 最初は緊張したり獄寺が同じ姿勢で辛くはないのかと色々気を遣ったが、映画にのめり込んでいくとその体勢も不自然に感じなくなった。むしろゾンビが出てくるシーンや虐殺場面ではお互いの体がビクついているのがはっきり分かって、怖いのは自分だけじゃないと安心できたし、隣に座ってTVを観ていた時よりも会話が弾んだ。
 映画が終わりスタッフロールが流れ出してやっと、綱吉は前のめりになっていた体を弛緩させ後ろへもたれかかる。途端に獄寺の体を意識して身を離すと、獄寺は綱吉の腹に緩く回していた腕に力を入れて引き寄せてきた。
『……面白かったっスか?』
 耳元で低く囁かれるとむずがゆいような何かが背中を走った。
『う、うん。メチャメチャ面白かった。ゾンビとかグロイとこは怖かったけど、主人公の戦い方がカッコ良くて』
『銃を乱射するとこもいいスけど、弾切れになってからクロス付きのナックルでゾンビを殴り倒していくとこがシブイっス』
『ああ、あそこ。もうお前の方が人間じゃないだろって動きしてたよね』
『あり得ないっスねあれは』
『だよね〜』 
 でもそこがカッコいいんだ。二人ではもって笑い合うと、笑う息に合わせて獄寺の腹筋の動きが背中に伝わってきた。ソファーよりは固いけれど暖かいぬくもりを、そう悪いもんじゃないなと改めて思った。
『……10代目、いい匂いがします』
『そう? シャンプーじゃない?』
 獄寺が犬のようにふんふんとわざとらしく鼻息をたてたりするものだから、綱吉は笑いながら答えた。
『10代目がお使いになってるシャンプー、いい匂いがするんスね』
『そうかな? 母さんが買ってきたシャンプーとリンスが一緒になってるやつだから、匂いとかあんま意識したことないなぁ』
『……10代目って感じの匂いっスよ…』
 それまでのはにかんだ感じからより優しい声で囁かれて、綱吉は首の後ろがゾクゾクした。途端に獄寺と触れている体の部分に熱が生まれて鼓動が速まり、すぐ後ろの獄寺の鼓動が自分よりも速いのに気が付いて、綱吉はどうしたらいいのか分からなくなって固まった。
 けれど、すぐに腕は解かれ、獄寺がいつもの笑顔で『帰り、送って行きましょうか』と言うので、綱吉はいいよと言いかけて映画の恐怖シーンを思い出し、コクコク頷いた。
 自宅への帰り道、歩きながらの話題は映画のことで、獄寺の態度はそれまでと特に変わった様子はなかった。ただ、綱吉だけが自分のベッドに潜ってからも、獄寺の甘い声を思い出して一人頬を染めたのだ。



◇ ◇ ◇



 再び視線を強く感じて、綱吉はぞくりと身を震わせた。身体の奥から沸き上がった何かが嫌悪感から来るものでは無いことは、とっくの昔に気が付いていた。 




 昼休み、綱吉は獄寺と山本の3人でいつものように屋上で昼食にした。五月の風はさわやかで、降り注ぐ日差しは気持ち良かった。
「……あのさあ獄寺君。授業は真面目に受けようよ」
「えっ?」
「君、授業中にオレのこと観察してるだろ。気が散るからやめて」
 最初、綱吉の言葉にポカンとしていた獄寺だったが、すぐに背筋を伸ばし深く頭を下げた。
「すみません! 10代目の邪魔にならないよう、さり気なくお見守りしていたつもりだったんスけど」
「見守らなくていいから」
 予想どおりな獄寺の態度に、綱吉は照れ隠しからぶっきらぼうに答え弁当の卵焼きを頬張った。
 10代目に怒られた…としょげる獄寺と、そんな獄寺の姿を見ないように視線を逸らす綱吉の姿に、山本はいつものように明るい笑い声を上げた。
「まぁ、ツナもそう言うなよ。しゃーねぇじゃん。獄寺はツナが大好きだもんな〜。見んなつっても無理だろ〜」
 山本の言葉に綱吉は食べていた卵焼きを喉に詰まらせる。
 獄寺は首まで真っ赤になって、「てめぇ何言ってやがる!」と噛み付いたものの、綱吉が激しく咳き込んだので、「大丈夫っスか10代目!」と背中をさすったり飲みものを渡したり甲斐甲斐しく世話を焼いた。
「ん……ありがとう」
 綱吉は獄寺に渡されたミネラルウォーターを口にして、ふうと息を吐いた。生理的な涙目で山本を睨んでみる。
「変なこと言うなよ山本」
「ん? オレ変なこと言ったか? 獄寺がツナを好きっつーのは当たり前のことだろ? オレもツナ好きだし」
 さらっと言われて、まるで慌てる自分たちの方が意識しすぎなのではないかと思う。
 綱吉はう、うんと頷き、「オレも山本好きだよ」と答えると、山本は眩しいほどの笑顔で綱吉の髪の毛をかき混ぜてきた。
「だろ? ツナは素直でかわいーな」
「てっめえ! 10代目に馴れ馴れしくさわんな!」
「ん? お前も触って欲しいのか?」
 山本は噛み付かんばかりの獄寺の銀髪に手を伸ばすと、犬の頭を撫でるように動かした。
「この野球野郎! もう許さねぇ! 今日こそ果たす!」
 制服のどこからか瞬く間に両手一杯のダイナマイトを取り出され、綱吉は慌てて二人の間に割ってはいる。
「もう! やめなよ獄寺君! 山本も! オレにゆっくりご飯食べさせてよ〜」
 綱吉が眉尻を下げて情けない顔をすると、獄寺はまた背筋を伸ばし、すみませんと頭を下げ、山本も悪い悪いとどこまで本気なのか分からない笑顔を作った。



 その日の帰り道、獄寺はそわそわと落ち着きがなかった。以前は『どこで敵が現れるか分かりませんから』と迷惑な護衛に余念がなかったのだが、最近は綱吉と世間話をして帰るぐらい、平和な日本に馴染んできていた筈なのにだ。
 獄寺はチラチラと綱吉の顔色を伺っては眉間にしわを寄せたり、綱吉が獄寺の方を見ると視線を明後日の方へ向けたりで、どうやら綱吉に何か伝えたいことがあるらしい。いつもストレートで思ったら即行動な獄寺にしては珍しく、もう綱吉の家に着くというのに何度も口を開いては言葉を飲み込んでいる。
「獄寺君、オレになんか言いたいことあるんじゃないの?」
「はっ、あのっ、その……」
 途端に赤くなった獄寺は見つめてくる綱吉の顔を、恐る恐るといった様子で確かめてきた。
「……明日、オレの家に来られますよね…?」
 明日は週末、「勉強会」の日だ。この数週間そうしてきたし、リボーンからも特にやめろとは言われていない。
「勉強会なら行くつもりだけど。もしかして獄寺君の都合が悪い? それならオレ、リボーンに言っとくけど」
「いっ、いいいいえ! 何も悪くないっス!」
 がしっと両肩を掴まれ力説された綱吉は、じゃあ明日もよろしくと返すことしかできなかった。



 翌日。いつものように「勉強会」が済んで綱吉がソファーでTVを観ていると、獄寺は当たり前のように綱吉の背後に回り、先週同様綱吉を抱き込むようにして座った。
 獄寺の動きの自然さと綱吉がTVに釘付けになっていたせいもあって、綱吉が気付いた時はその体勢が変だとは言い出せない雰囲気になっていた。口実を作って腰を上げようにもTVを付ける前にトイレは済ませたし、飲みものも菓子も手の届くところに用意されている。何よりTVの番組企画が面白くて動きたくなかったので、背後に獄寺が密着していることを変だと思いつつ疑問は追求せずにおいた。
 CMの間に綱吉が冷えたコーラを飲んでいると、耳元で獄寺が囁いた。
「……十代目の耳って可愛いですね。囓ってみてもいいですか?」
「へ? や、やだよ! 痛いもん」
「痛いほどは噛まないっすよ。甘噛みっつうか、ちょっとだけ銜えるだけっつうか」
 獄寺の薄くて形の良い唇が自分の耳に食らいつく所を想像して、綱吉はぶるりと身を震わせた。
「な、何でそんなことしたいの?」
「十代目の耳、ちょっとピンクでやわらかそうで美味そうです」
「美味しくないよ。変だよ獄寺君。友達はそんなことしないよ」
「そ、そんなことないっスよ! 野球バカだって十代目の耳、囓ってみたいって思ってます! つうか、聞きました。あいつが十代目の耳を囓りたいって言ってるの」
「嘘だぁ!」
 驚愕に眼を開き綱吉が振り返ると、獄寺は一瞬息を止め、気まずそうに視線を逸らした。
「……嘘です。すみません」
「何それ。訳分かんないよ」
 綱吉は緊張に固まっていた身体から力を抜いた。山本がそんなことを言うなんてあり得ないと思っていたけれど、獄寺が自信満々に言うのでうっかり5%ほど信じそうになった。
「……駄目ですか?」
「……」
 大きな体を丸めて、怒られた犬のように頼りない目で見つめられると、綱吉は胸が苦しくなった。いつも獄寺は綱吉のために一生懸命で(迷惑なことも多いが)、見返りを求めず尽くしてくれている。それに対して綱吉はお礼の言葉は言うものの、自分から率先して獄寺のために何かをしようとすることは無い。まず獄寺が綱吉にさせないし、綱吉より色々な面で優れている獄寺は、料理などの苦手項目以外は自分で片づけた方が遙かに効率的で確実なのだ。
 そんな獄寺が綱吉に「お願い」してくることはあまり無い上にささやかなことばかりで、綱吉が獄寺にしてもらったことと照らし合わせると、健全な友達同士とは言えない。
 綱吉にとって耳を囓るという行為は、どう考えても「友達」はしないことだ。風呂に入ってきたとは言え獄寺の家に来るまでの間に汗もかいて清潔とは言い難いし、なにより恥ずかしい。
 しかし、絶対友達同士がしないことなのかと追求されると、胸を張ってそうだと言える自信がない。綱吉は山本と獄寺以外、今まで親しく付き合った友達がいなかった。獄寺に至っては友達の定義がよく分かっていない節がある。
 もしこれが山本で、いつものような軽いノリで「ツナの耳って美味そうだな〜。ちょっと囓ってみていいか?」なんて言われたら(さっきはあり得ないと思ったが)、むしろ山本は綱吉がいいとも悪いとも言う前に囓るかもしれない。そうしたら綱吉は笑いながら「じゃ、オレも〜」とお返しとばかりに山本の耳を囓ってみるのではないかと思った。
 結局キャラというか、互いの関係性が重要なのだろう。
 山本なら綱吉は耳を囓られてもそれ以上の何かを追求しない。頬にキスをされたとしてもいつものスキンシップの延長か冗談だと思える。けれど、相手が獄寺となると、いや、山本以外のそんなことをしそうにないタイプなら、綱吉が戸惑い身構えても仕方のないことだ。
 では、山本なら気にしないでいられることを獄寺にされたとして、嫌なのかというと、嫌悪という負の感情は無く、むしろ恥ずかしい、照れくさいと言った居心地の悪さが問題だった。
 一番の引っかかりは、綱吉も獄寺もお互いを意識してしまいがちなところだ。お互い人付き合いが上手くない者同士。自身を部下だと思いこんでいる獄寺と、10代目という呼び方も困惑気味の綱吉とではスタンスが違いすぎる。
 綱吉があれこれ考えていると、獄寺はすみませんと情けない声を絞り出した。
「すみません変なこと言って。……オレ、十代目を困らせたりご不快にするつもりは無くって、ただ――」
 涙目になりながら謝罪する獄寺に、綱吉の胸が再び甘い痛みで疼いた。綱吉のことが全てだと言わんばかりの態度。綱吉に嫌われたら生きていけないと言い出しかねない獄寺に、綱吉は形容しがたい、自分でもはっきり言えないもやもやしたもので苦しくなった。
 たかが耳を囓るだけなのだ。キスをしたいと言われた訳じゃない。
「……いいよ。囓っても…」
「ホントっスか?」
 今にも泣きそうになっていた顔がぱあっと明るくなる。
「でもちょっとだけね。痛いのも嫌だから」
「はいっ!」
 満面の笑みで頷かれて、綱吉は顔を斜め後ろに向けていた姿勢を元に戻した。TVはいつの間にかバラエティに戻り、企画の続きが始まっていた。楽しみにしていたのに後ろの獄寺が気になってCM明けからどうなったのか推測することも出来ず、出演者の笑い声が空々しく聞こえた。
 緩く腹へ回されていた腕に力が込められて、綱吉はビクリと身を固くする。獄寺の顔が後頭部に近づいた気配がして心臓が跳ねた。
 すぐにパクリとされるのかと思っていたら、獄寺は綱吉の髪を撫でるように顔を擦りつけてくる。そのたどたどしい動きがくすぐったくて頭を動かすと、耳の後ろに柔らかい感触が触れた。
「ひゃっ!?」
「すすすすみません、口がすべって…!」
 動揺した獄寺の言葉で触れてきたのが唇だと分かり、綱吉はかあっと頬を染めた。獄寺も予想外の出来事だったらしいが、綱吉が少し動いただけで唇が触れたと言うことは、頭に触れていたそれまでの感触も唇だったのかもしれない。
 そもそも「口が滑る」なんて、日本語として使い方を間違えてるよと心の中で突っ込んでいると、今度こそ耳をパクリと銜えられた。
 自分が思うより赤面しているのか、火照った耳を包んだ唇はひやりとしていた。
 ふうふうと荒い獄寺の息が顔に掛かる。背後の身体が一層熱ばんで、回された腕に痛いほど抱きしめられた。
「……ん」
 思わず出そうになったうめき声を堪えると、苦痛からとは思えない鼻に掛かった音になった。するとますます抱きしめる腕に力が込められて、綱吉は息が止まり酸欠でぼうっとなる。
「…っで、くるし…よ」
 綱吉がとぎれとぎれに訴えると、獄寺はやっと気が付いたのか慌てて腕の束縛を緩め、すみませんと吐息を耳に吹き込んだ。
「……!」
 綱吉は悲鳴を上げそうになってどうにか声を飲み込んだ。くすぐったいばかりでないゾクゾクしたものが、耳から首筋を伝い背筋から腰まで抜けていったのだ。
「あ…っ」
 呼吸がままならず苦しさから逃れたくてソファーから離れようとしても、逆に後ろへ引き寄せられて獄寺の身体により密着させられる。獄寺の胸の鼓動は激しくて、薄手のパーカー越しだからかはっきり感じられた。綱吉の鼓動もつられて速くなる。
 獄寺は囓りたいと言っておきながら、唇で、はみはみと耳の形を辿り舌先で舐め、柔らかい耳たぶを吸い上げ口の中で舐め回した。熱くて柔らかいぬめりがくちゅくちゅといやらしい音を立てる。音だけでも変な気分になってきそうな所へ、一層荒くなった獄寺の息と耳そのものへの刺激で、綱吉は身体中がムズムズして身じろぎが止まらない。
「ご、獄寺…く、ん」
 綱吉がもうそろそろ止めて欲しいと言う前に、獄寺は唇を離し涎に濡れた耳たぶを舐める。唾液に濡れた耳が空気に触れて、たちまち熱を奪われた。
「っふ、う」
 先ほどまでの執拗な弄り方と比べ、何気ないむしろ触れるだけの動きなのに身体が大きく戦慄く。
「……次はこっちですね」
 低く擦れた声に制止する間もなく、さっきまでとは反対の耳を口に含まれた。
 また一から同じことをされるのかと思うと、足の付け根に熱が籠もる。その上さっきから獄寺の長い髪が首回りの隙間へ当たって、撫でられているようだ。
 しつこく耳ばかり舐めたり柔らかく噛まれたりして気を取られていたら、胸に妙な刺激を感じた。いつの間にか閉じていた目を開けて確認すると、獄寺の右手が胸をなで回すように動いていて、指先に引っかかった乳首を押しつぶすように弄られた。
「ど、どどどっ、どこ触ってんの!」
「すっ、すすすみませんっ手が滑って!」
 綱吉がひっくり返った声で咎めると、獄寺は慌てて両手を離した。そのチャンスを逃さず綱吉は獄寺の懐から抜け出し、腹が見える程着崩れたパーカーの裾を引っ張って直した。
 耳だけだと思っていたのに、胸まで触られるなんて聞いてないと綱吉がきつい目で睨み付けると、獄寺は未練がましく縋るような目をするばかりで、いつもとは違い過剰な謝罪の言葉は口にしなかった。
 濡れた耳が気化熱でどんどん冷たくなっていくのに、顔からは火が出ているのかと思うほどに熱くて堪らない。
「オレ、帰る」
 綱吉は帰り支度を済ませておいた鞄を掴むと玄関へ向かう。まだTV番組は途中だったがもうどうでも良かった。内容なんて最初のCMに入るまでしか覚えていないし、一刻も早くこの部屋から出て行きたかった。
「じゅ、だいめ…」
 獄寺はおろおろしながらも玄関まで追いかけて来た。
「あの、家まで――」
「おじゃましました!」
 獄寺の言葉を最後まで言わせず、綱吉は獄寺の顔も見ないで部屋を飛び出した。

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