それが望みなら




■1

長い微睡みから覚める時、耳に入ってくるのは聞き慣れたクラッシックだ。
ツナはせめて流行のポップソングを流して欲しいと思っている。
タイトルも知らないクラッシックは耳障りではないが、その分睡魔に誘われやすく常にうとうとしてしまうのだ。
いつもと同じ気怠い目覚めに、ツナはふうと深く息を吐いた。
身体が自分の物で無いような感覚には慣れてきたが、寝ても覚めても目の向こうは真っ暗な闇で、実はまだ自分は夢の中にいて、同じ姿勢のままゆっくり底へ落ちているような気分になるのは苦痛だった。

「おはようございます10代目。身体のお加減はいかがですか?」

近くから聞こえた獄寺の声に、ツナは「だるいし手足が痛い」と答える。
その自分の声が妙に擦れていて、ツナはゴホッと喉を鳴らし水が欲しいと訴えた。
ベッドに横たわったままの姿勢で待つと、すぐに唇へ水差しの先が柔らかく当てられる。
ひやりとした触感は容器ごと冷やされて用意されていたのだろう。

「どうぞ。ゆっくり飲んで下さい」

ツナが唇を動かして水差しの先に吸い付くと、獄寺は本体をやや傾けてツナが飲み易いようにしてくれた。
二口ほど飲み込むと水分が身体の隅々へ広がっていくイメージが脳裏に浮かんだ。
それは昔、TVの「人体の不思議」とか言う番組で観たCG映像に似ていた。
ツナが唇を開けると水差しが離れ、代わりに暖かくて柔らかい物が触れてきた。
それが獄寺の唇であることは目が見えなくても分かる。
むしろ目が見えない状態だからこそ、皮膚感覚が以前より敏感になっているのだ。

「食事にしますか?」
「まだあとでいいよ。寝てばっかりだからあんまりお腹も空かないし」

言ったあとで自分の言葉が嫌みに思われはしないかと不安になる。
現状に不満がないかと聞かれれば無いとは言えないのだが、迂闊な言葉で獄寺を傷つけたり追い込んだりしたくなかった。
ツナの気持ちが分かるのか、獄寺はツナの額に口付けを落とすと大きな手でツナの髪を撫でた。
それだけでツナが失言だったかと心配した気持ちに大丈夫ですと言ってくれている気になった。
獄寺の優しさや労りを感じるたび、ツナは泣き出したい切なさで胸が苦しくなる。
本当に泣いてしまえば余計に獄寺を悲しませ辛い思いをさせる事になるのだと、ツナは胸に込み上げた想いを飲み込み深呼吸した。

ツナは今、獄寺によって監禁されている。
けれど、ツナが一番したいことはここから自由になることではなかった。
ツナの何よりの望みは手足の戒めと邪魔な目隠しを解いてもらい、獄寺の顔を見て彼を抱きしめる事だった。
しかし、ツナに可能なことは一方的な獄寺の奉仕と束縛を受け入れ許す事だけなのだ。

この歪んだ日常が終わる時。
それは獄寺の死を意味していた。





ツナが覚えている外での最後の記憶は、いつもと変わらない学校からの帰り道だった。
隣には獄寺がいて、たわいのない会話で盛り上がっていた。
獄寺はずっと笑顔で、ツナが思い出せる獄寺の表情はほとんど笑顔ばかりで、どれだけ自分が獄寺を好きで信頼していたのか、遠い日々のように懐かしい。
季節は秋になり制服のシャツの下はさらりと乾いていた。
人目を忍んで繋いだ手もベタベタしなくなって、獄寺は
『秋は素晴らしい季節です。十代目がお生まれになった記念すべきシーズンですし』
なんてキザなことを言って繋いだ手に口付けを落としてきた。



夏前に獄寺から告白され、ツナは沢山の葛藤を繰り返したあと恋人としての付き合いを始めた。
一緒に海へ行き花火を見た。
山本と3人で屋台の手伝いもした。
一途な獄寺の行動は迷惑なことも多かったが、ツナにとっては楽しく幸せな日々だった。
拙く幼い恋だけれど、お互い真剣だった。

だから、獄寺は自分に起こった予想外の悲劇で壊れてしまったのだろう。

                          ◇ ◇ ◇

ツナが意識を取り戻した時、目の前は闇に包まれていた。
身体は重く手足も動かない。
目隠しをされ手足には拘束具が付けられ、ご丁寧に薬で身体の感覚が分からないようにされていた。
それらもツナが目で見たり手で触って確認したことではなく、全て獄寺の説明によって分かった事だった。
そしてツナは獄寺によってとある場所に監禁されていることを教えられた。
何の冗談かと思った。
もしくはリボーンのハチャメチャな修行の一つぐらいにしか思えなかった。
けれど、食事はおろか入浴や排泄といった、いくら恋人同士でも遠慮したい行為まで全て獄寺の手を借りなければ不可能だと分かって、ツナはやっと自分の置かれている状況の異常さを思い知った。


『何でこんな事するんだよ! 今すぐ放して! 獄寺君なんか嫌いだ!』

怒りに泣きわめくツナに獄寺は告げた。

『……オレ、もうすぐ死ぬんです。
だから少しでも10代目と一緒に……オレの残された時間を過ごして欲しいんです』

予想だにしなかった告白にツナは絶句し、しばらくしてようやく一番の疑問を投げかけた。
信じられない気持ちと信じたくない思いで声が震えた。

『死ぬって……何で?』
『病気です。でも安心して下さい。
一緒にいても10代目に移ったりはしません。
オレの母親も同じ病気で死にました。
遺伝なんです。
もって1年……早ければ数ヶ月らしいです』
『治らないの? シャマルは? リボーンは? 
ボンゴレの科学力でどうにかならないの?』
『あらゆる手を講じましたが――無理でした。
……オレのわがままのせいで10代目を閉じこめたりして、申し訳ないと思っています。
でも、恋人の死ぬ前の願いとして、許して下さいませんか』
『獄寺君……』

その時になってやっと、ツナは獄寺の口調が常に一定で淡々としている事に気が付いた。
いつも気が短くてけんかっ早い、よく言えば感情に嘘のつけない獄寺がツナに説明を始めた時から別人のように冷静で、声も口調も大人じみていた。
獄寺は本当に病気で死ぬのだろう。
その現実を受け入れたからこその落ち着きと揺るぎない気持ちが、ツナを監禁するという愚行に走らせたのだ。
途端にそれまで以上に涙が溢れて、ツナは激しく嗚咽した。
自分の状況に対する不安や怒りなどよりも、治しようのない病の無情さや、獄寺がいなくなってしまうと言う恐ろしい現実が悲しかった。


『嘘だよね。獄寺君が死ぬなんて。リボーンとグルになってオレを騙してるんだよね? 
いざって時のためにオレの「精神力を鍛える特訓」とかなんだろ? 
……ねぇ嘘だって言ってよ。お願い。お願いだから…! 
どうして君が死ななくちゃいけないの? 
嫌だよ……嫌だ! 死なないで獄寺君!』

泣きながら懇願するツナを優しく抱きしめて、獄寺は謝罪を繰り返した。


すみません。すみません。許して下さい。
オレの夢はボンゴレ10代目となったあなたの右腕としてお役に立ち、いざという時はこの身を盾にしてでもあなたをお守りする事でした。
でも……もうそれは叶いません。
オレは病気で死にます。あなたと別れなくちゃならない。
せっかく人生を賭けられる素晴らしい主君に出会えたのに、部下の身でありながらあなたの恋人にして頂けて――どんなに嬉しくてありがたかったか分かりません。
あなたを愛してます。誰にも奪われたくないんです。
誰にも誰にも――自分だけのものにしておきたくて、あなたを監禁する事にしました。
こんな事間違ってると思います。
あなたは優しい方だから、こんな事をしなくてもきっとオレの側にいて最後の時を看取って下さると思います。
でも、オレ達は恋人と言っても男同士で、この関係は秘密にしなければなりません。
いくら10代目が望んで下さっても、どれだけオレが望んでも、ずっと一緒にはいられません。
公に出来ない関係で、家族でもない。
あなたはオレの「友達」という立場ですから、ぜいぜい学校帰りや休日に病院へ来て頂いて過ごすだけになるでしょう?
オレはそんなの耐えられません。
あなたをオレだけの物にしたい。
せめて死ぬまでの限られた時間は、あなたにオレのことだけ考えて頂きたいんです。
長くて一年でもあなたには途方もない時間でしょうね。
真っ暗でオレ以外とは誰にも会えず話も出来ない。
しかも限られた部屋の中だけでオレの助けがなければ動くことも出来無いだなんて、それがどれだけあなたのストレスとなって心と身体を苦しめることになるか、オレにだって許されない、恐ろしい事だと分かります。
だけどもう、オレは決めたんです。
あなたをどれだけ苦しめても、どんなに恨まれても、あなたをオレだけの物にすると。
もう決めたんです。
だから……諦めてオレとここで過ごして下さい。
お願いします。
お願いします。
オレはもう、あなたしかいらないんです。
あなたに見捨てられたら、今すぐ死にます。
死にたくないです。あなたを残して、あなたと離ればなれになりたくない。
愛してるんです。愛してるんです。
許して下さい。



ツナは今までの人生の中でこれ以上はないと言うほど声をあげて泣いた。
泣き続け獄寺をなじり何度も懇願した。
諦めないでくれと。
死ぬ気弾や十年バズーカと言った摩訶不思議な科学力を持つイタリアンマフィアの力を借りれば、獄寺の病気も治る見込みがあるのではないかと。
今すぐでなくても、狭い場所に閉じこもって二人だけの終わりに向かうしかない生活をするよりもずっと、外の世界にいれば新しい希望がもたらされるかも知れないと何度説得しただろう。


『オレは獄寺君の恋人だって母さんや他のみんなに知られてもいい。
学校にだって行かない。
君の側にずっと付いてる。オレが君の看病をする。
だから、考え直して獄寺君。外にいればいつどこで新しい治療法が見つかるか分からないんだよ? 
それが無理でも、オレは少しでも君に美味しい物を食べてもらったり、楽しい思い出を作ってもらいたい。
オレに目隠しをして監禁してたら、オレは君に何も出来ない。
君は今までオレに色んな事をしてくれた。
それこそ見返りを求めず、オレのためにいっぱい勉強を教えてくれて、危ないときは助けてくれて、うんと優しくしてくれた。
オレがダメじゃないって、オレに価値がある人間だって思わせてくれた。
君に好きになって貰えて、君と出会えて、オレはとても、とても――幸せで、だから、こんな風に終わるのは嫌だ! 
医者が100パーセント無理だって言ってもオレは諦めないよ。
君が生きてオレとずっと生きられる方法を探す。
そのためには諦めちゃダメだ。
誰よりも君が諦めちゃダメなんだ。
オレと一緒に生きよう。
お願い、諦めないで…!』


ツナは諦めたくなかった。獄寺の命も、自分のこれからも――。


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