DANGER ZONE



いつから彼に対して恋心を抱くようになったのか、遊戯には分からない。自分の本当の気持ちは、ずっと心の中に秘めておくつもりだった。
告白しても男同士では、振られた後のリスクが大きすぎる。
しかし、久しぶりに登校してきた海馬の姿を見つけた時、遊戯は彼の元へ駆け出していた。


「もう1人のボクの事で話があるんだ。後で時間を作って欲しいんだけど…」

遊戯の言葉に海馬は暫く眉根を寄せて逡巡した。おそらく頭の中でスケジュールの調整をしているのだろう。

「三十分あれば足りるか?」

もう一人の遊戯絡みなら海馬は何を置いても予定を空けるだろうと踏んではいたが、こう予想通りだと切なくなる。
気持ちを押し殺し、遊戯は無理に笑顔を作った。

「ありがとう。じゃあ、放課後屋上で…」





約束の放課後。
屋上から見下ろした遊戯は、帰宅する生徒の中に城之内の姿を見つけた。

――海馬くんに用事があるから…。

そう言うと城之内は心配そうな顔をした。

――アイツには気を付けろよ。

城之内はバイトがなければ遊戯に付き合う気だったに違いない。大切な親友に心配をかけてしまったことは遊戯にとって誤算だった。気遣ってくれた城之内の事を思うと決心が揺らぐ。

「遊戯、話というのは何だ」

二人きりになって早五分は経とうかというのに、遊戯は海馬に背を向けたままだった。

「遊戯! オレは貴様と違って暇ではないのだ!」

海馬の苛立った声にようやく踏ん切りをつけて、遊戯は彼の傍に歩み寄った。

「ちょっと耳貸してくれる?」

ヒソヒソ話をするように近づけと言われ、海馬はあからさまに嫌そうな顔をしたものの、「もう1人の遊戯の話」への好奇心からか渋々身を屈めてきた。

「あのね……」

遊戯は海馬の耳元で囁きながら、素早く顎を捕らえ唇を奪った。
予想外の事で混乱しているらしい海馬はフリーズしている。
意外と柔らかな唇の表面をちろりと舌で舐めてみると、そのとたん起動スイッチが入ったのか突き飛ばされた。

「何をする貴様!」

普段クールな冷笑を浮かべる海馬が、怒りの為に目元を赤く染めている。初めて見る海馬の表情に遊戯の中で何かが弾けた。長い間呑み込んでいた言葉がためらい無く口をついて出る。

「海馬くんの事が好きなんだ」

「……何…を言っている……」

呆気にとられた海馬の表情は年相応で、遊戯は自然に微笑んでいた。

「だから海馬くんともっと仲良くなりたい。もう1人のボクのように君とデュエルしたり、ゲーム以外の事や話をたくさんして、同じ時間を過ごしたいとずっと思ってたんだ」

「下らんな! それが貴様の「話」か。もう1人の遊戯は関係ないでは無いか! このオレに無駄な時間を使わせおって…」

忌々しそうに舌打ちし、海馬は戸口へ身を翻す。

「海馬!」

乱暴にドアを開いた海馬を遊戯は大声で呼び止めた。
立ち止まった海馬は振り返り遊戯の背中を見つめる。

「……オレもお前の事が好きだぜ」

海馬は動揺した。
遊戯の後ろ姿はもう一人の遊戯とそっくりだ。同じ身体の声帯を使う声は言葉遣いや口調が違うだけなので、海馬には目の前の遊戯がどちらなのか判別出来なかった。
しかももう一人の遊戯と会うのは久しぶりで、海馬は僅かな期待から乾いた喉を唾液で潤し声を絞り出す。

「…遊戯…」

「って、もう1人のボクに言われても君は「下らない」って言うのかな?」

企みが成功した子どものように遊戯は上目遣いで振り返る。
海馬はすぐにからかわれていた事に気付き、再び怒りで眼光鋭く睨み付けてきた。

「――貴様の言う事など二度と聞かんからな!」

荒々しくドアが閉められ海馬の足音がその奥へ遠ざかる。
遊戯はそれが聞こえなくなっても、脳裏に焼き付けた海馬の後ろ姿を見ていた。






『……相棒』

ためらいがちにもう一人の遊戯が声を掛けてくる。いつから側にいたのかは分からない。デュエルの時以外で彼が近くに現れる気配はいつも控えめだった。

「君のまねしてごめん…」

『……それより相棒、海馬が好きだって…本当なのか?」

「……本当だよ」

遊戯の声は静かだが、その分深い決意を感じて彼は言葉を詰まらせる。

「あきれた? それとも軽蔑する? 男が好きだなんて…。君の事もだしに使っちゃったしね」

『いや、そんな事はどうでもいい。オレが驚いてるのは……今まで相棒がそこまでの気持ちを海馬に持っていたとは、感じなかったぜ…』

「そうだね。秘密にしてたんだ。……特に君には知られたくなかったから」

『何故だ』

「君の事が好きだから。……君に嫌われたらきっとボクは生きていけない」

『水くさいぜ相棒! オレ達は何があろうと…、一番の仲間だぜ!』

「……でもボクと君は違う。ボクは君のように純粋でも真っ直ぐでもない。ペガサスに言われる前から薄々気付いてた。ボクと君は元々違う存在なんだって…」

その言葉に、幻覚かと思う程はっきり見える彼の姿が陽炎のように揺らいだ。

「さっき海馬くんには言わなかったけど、ボクは海馬くんを抱きたいんだ。そう言う意味の好きなんだよ。
「君とのデュエルに負けて悔しそうな海馬くんの顔を見るたびドキドキしてた。傲慢な彼が覗かせる弱さが…高いプライド故のもろさが錯覚させるんだ。
「いつかボクのモノに出来るチャンスがあるんじゃないか、ってね」

『相棒……』

もう1人の遊戯の悲しそうな表情に遊戯の胸が少し痛んだ。
自分の中にある強さを具現化した存在だと思っていた彼が、別人だと分かったときの喪失感。それは彼と区別され、切り離される寂しさだった。
だが、同時に遊戯には救いでもあった。
彼は遊戯から見れば純粋過ぎる。まるで彼のみが光の中の生き物で、自分だけがどす黒い邪な存在なのだと、分けられている気がしていた。
違う人間同士ならどれ程違っても構わない。

「ごめん。こんな事、やっぱり君に言うべきじゃなかった…」

遊戯は自嘲気味に呟いた。期待していなかったものの、海馬への告白に玉砕した事がショックでヤケになっているのだろう。

「ボクの事…嫌いになった?」

彼は黙って首を振る。
それは遊戯にとって予想通りの返事だった。彼は遊戯がいなければここに存在出来ない。嫌悪していたとしても、正直な気持ちなど言える訳がないのだ。
彼は長い沈黙の後、苦しそうに言葉を吐き出した。

『……オレも、相棒に秘密にしていた事がある…』

「秘密?」

『…オレは相棒が好きだ』

「ボクも好きだよ?」

『違う。相棒が海馬を抱きたいように、オレは相棒を抱きたいんだぜ…』

今度は遊戯が驚く番だった。

 



遊戯は深く息を吐いた。きっと彼は気を遣っているのだ。海馬を好きだと、抱きたいと言った自分を勇気づけるために。

「無理してボクと同じ振りをしなくていいんだぜ、もう一人のボク…」

『無理なんかしてないぜ。オレの言う事は信じられないのか?』

「そうじゃない。でも、君がそんな…性欲なんて…」

『持ってちゃいけないのか? オレは相棒の身体でオナニーしたぜ? オレが出ている時はオレでしかなくても、相棒と同じ身体だ。相棒にしていると思ったら興奮した。何回でもイケたぜ』

遊戯は彼の口から出る単語に呆然となった。
彼がそんな事を言う筈がない。友情に厚く誇り高い彼が、自分と同じ欲望を持て余していたなど。

『獏良くんに男同士がどんなSEXをするのか聞いたら、その手のサイトを見せてくれたぜ。知識だけなら多分相棒よりオレの方が詳しいぜ。
『相棒はどうやって海馬を抱くつもりなんだ? 扱いてしゃぶりたいだけならいいが海馬に突っ込みたいのか? だったら、』

「やめろよ! やめてくれ! 君からそんな話聞きたくないぜ…」

遊戯は耳を塞ぎその場にしゃがみ込む。
彼が自分と同じだと思いたくない。理想の彼を壊して欲しくなかった。
彼は遊戯に近付き同じようにしゃがみ込む。

『……こんなオレは嫌いか? もう、一緒にいたくないか?』

遊戯は首を振る。そうとしか答えられない。
目が合った彼は安堵した瞳で遊戯を見つめていた。その途端、遊戯は自分が彼に同じ質問をした時、彼の気持ちを疑った事を恥じた。
記憶を無くす前ならば、彼はどれ程の美女でも選り好み出来る身分だった。同じ身体を共有する今も、彼に魅せられる者は性別を超えて存在する。
その彼がSEXしたい程遊戯を好きだと言っているのだ。
別の身体で彼に同じ事を言われたら、遊戯は素直に受け入れただろう。そのくらい彼には深い信頼と愛情を抱いている。
問題なのは同じ身体を持つこの状態だ。お互いがなくてはならない関係で、「好き」はともかく「抱きたい」と言う感情は果たして正常なのだろうか。共存していくためにそう思い込んでいるのではないのか。
どれ程考えた所で遊戯に分かる訳がなかった。






校舎が夕暮れに包まれる頃、遊戯はやっと立ち上がり帰路についた。足取りは重く海馬に告白などしなければ良かったと、後悔ばかりが募っていた。
海馬は今日の出来事を取るに足らない物として、記憶から抹消しているに違いない。それだけが今となっては救いに思えた。





遊戯は自室のベッドに寝転がり、今日の事を反芻する。
遊戯が好きで抱きたいのは海馬だ。
海馬はもう一人の遊戯しか眼中にない。
もう一人の遊戯は、遊戯を好きで抱きたいと言った。
滑稽な三角関係に遊戯は深いため息を吐く。

「……オナニー、か…」

彼からそんな言葉を聞くとは思わなかった。
彼と自由に意思の疎通が行えるようになってから、遊戯はたくさん話をした。ゲーム以外の友達や学校、好きなお菓子や気に入っているTV番組など、寸暇を惜しんでお互いの似た所と違う部分を探し合った。
だが、一度たりとも性的な話題は出なかった。遊戯が意図的に話を振らなかったせいもある。彼には俗な衝動が無いと思っていたからだ。まして、彼が自分の身体で性欲を満たしていたなど考えた事もない。
今にして思えば起床時に酷く疲れていて、そのくせ腰の辺りは妙に軽いというアンバランスな事が希にあった。いずれもパズルを外し忘れて眠り込んだ翌日だった気がする。
彼は遊戯が眠った後、パズルを外し行為に及んでいたのだろうか。今遊戯が横たわるベッドで、遊戯の事を想いながら。
彼はどんな風に高ぶりを静めたのだろう。

「あ…」

ゾクゾクするモノが腰に集まってくる。
彼を汚したくはないが、ありのままの彼を知りたいとも思う。どちらも彼を愛おしいと思う故だ。
一瞬遊戯は不安になった。
海馬を抱きたい、支配したいと思ったのは、本来もう一人の遊戯に対しての欲望だったのではないのか。彼に対して抱いてはいけないと思い込んだ願望の矛先を、彼に似ている海馬にすり替えてしまったのではと。
自分を遙かに超えた憧れの存在を自分だけのモノにする。それは海馬でも彼でも同じ事だ。二人はよく似ている。ゲームに対するプライドも、勝利への自信や隠された弱さも。
遊戯は彼を自分のモノにする想像をしてみた。自分の身体で組み敷いて彼の下半身へ手を伸ばす。

「う…ん」

遊戯は知らず腰をシーツに擦りつけていた。右手を伸ばしスウェットの上から包み込む。欲望の育ち方は海馬相手の想像の時と変わらない。むしろ彼に対しての方がタブーが強い分、直ぐに息が乱れた。
遊戯は乾いた唇を舌で湿らす。目を閉じ指を肌に直接伝わせた。
途端に強い力で意識が闇の中に引きずり込まれる。
遊戯は忘れていたのだ。自分がパズルを首に掛けていたままだった事を。 
 


気が付いた時、遊戯は心の部屋の前で座り込んでいた。目の前には彼が遊戯を見下ろすように立っていた。

『…相棒、オレを抱きたいのか?』

彼の言葉に遊戯は赤くなる。何処まで知られてしまったのか、恥ずかしくて考えたくなかった。
パズルを付けていると二人の遊戯は強い感情を共有する。怒りも悲しみも喜びも、恐らく欲望さえも――。

『いいぜ。オレは相棒になら抱かれてもいい。その代わり、』

彼は遊戯に心の準備をさせるように間を取った。彼が何を望んでいるかなど遊戯は分かっていると言うのに。

『オレにも相棒を味わせてくれ』

『……ダメだよ。そんな事しちゃ、ダメだ…』

遊戯はその場で項垂れる。嫌だとは言えない。既に遊戯は彼を妄想の中で汚してしまった。
彼は遊戯と視線を合わせるためにその場に座り込む。

『何故悩む事がある? ここは現実じゃ無いんだぜ? ましてオレ達は同じ身体だ。割り切って楽しめばいいぜ』

『……でもそれはSEXじゃない。ボクらは知らない。想像しか出来ない。そんなの虚しいだけだ…』

心の中で二人は触れ合える。お互いが自分と相手をイメージし、こうある筈だと思っているからこそ、触れると現実と同じ触感と温度を感じるのだ。
現実に体験した事は心の中でも感覚を再体感出来る。しかし、SEXの体験がない二人がここで快楽を得ようとした時、それは単なる自慰の延長でしか無いだろう。
抱いても抱かれても、お互い実感が無いに違いない。
現実世界で経験を積むにしても、遊戯は好きでもない相手を抱く気にはなれない。やりたい盛りの性欲過多な年齢でも、SEXに対して夢があるからだ。
初めての時は好きな相手としたい。遊戯にとってささやかだが切実な望みだ。例え童貞だと冷やかされても、焦って玄人を相手にしたり遊びで知りたくなかった。
ただ、今のままでは好きな相手が海馬なだけに、彼を諦めでもしない限り一生清い身体で終わってしまうかもしれない。



『……相棒に質問があるぜ』

彼の声に遊戯は顔を上げた。

『相棒は海馬を抱きたいだけか? それとも抱かれてもいいと思っているのか?』

遊戯は暫く考え答えを出した。

『……ボクは海馬くんの心と身体が欲しい。そのためならどちらでもいい。むしろどちらの海馬くんもボクのモノにしたい…』

『強欲だな、相棒は。……オレと同じだぜ』

フフフ、と笑う彼は嬉しそうだった。

『オレは相棒が好きで相棒は海馬が好き。そして海馬は、オレに執着している……』

『ボクは君も好きだぜ』

遊戯は誤解の無いよう付け足した。
彼は益々楽しそうに笑った。子どものように無邪気に笑いながらとんでもない事を提案してきた。

『海馬をオレ達の奴隷にしようぜ、相棒』

『ど、どどど、奴隷ぃ?』

何を言い出すのかと遊戯はまじまじ彼を見る。
彼は遊戯にキスをするくらいの距離まで近づき囁いた。

『オレと相棒であいつを誑し込めばいいんだぜ。あいつは良い奴隷になるぜ、保証する』

その自信と根拠はどこから来るのだろう。
だが、彼の煌めく瞳を見ていると為し得そうだから恐ろしい。
何しろ彼はゲームに関して無敵と言っていい。自分の策に溺れたり冷静さを無くさなければ、負ける事は無いだろう。万一ピンチになっても遊戯たちは二人だ。一人きりの海馬より優位にあると言える。

『……どうするの?』

遊戯は取りあえず彼の策を聞いてみる事にした。





遊戯は彼の作戦にたじろいだ。自分に任される所は、彼が言うとおりに行くとは限らない。

『……無理だよ。ボクはそんな、自信がないよ…』

『心配要らないぜ、相棒。成功した時の事を考えるんだぜ』

遊戯は目を閉じ再び彼の計画を思い浮かべる。海馬は彼の誘いに乗るだろう。断れる訳がない。
その後を思うと興奮から身体が熱ばんだ。
上手く行きそうな気がする。いや、上手く事を運ばなければ海馬を手に入れる機会などこの先あり得ない。

『…やるか?』

遊戯は頷いた。
彼は遊戯の頬に軽く唇を寄せる。柔らかい温もりだった。

『……言っただろう? オレは何があろうと相棒の一番の仲間、だぜ……』

『君ほど心強い味方はいないよ、もう一人のボク…』

遊戯は微笑み同じように彼にキスをした。
海馬と彼を自分の腕に抱く時間は、きっと甘美な体験になるだろう。
二人の遊戯は見つめ合いどちらからとも無く、クスクスと笑い出した。何も知らない獲物が罠に嵌る時、どんな鳴き声を上げるのか楽しみで仕方ない。

『ボクの部屋においでよ、もう一人のボク』

『…お邪魔するぜ』

二人は明るい色のドアを開け、オモチャの散らばる部屋に入った。
そこでは二人が何をしようが、何を企もうが、誰にも分からない――。



 
■既にオチは読めたも同然なベタネタなのですが、個人的にこの話の闇様は私の書く話の中では一二を争うぐらいカッコイイと思っているので(人としてはダメだけど)、そのうちちびちび続きを書こうと思ってます。