特別な日 2



「んっ……ん…」
 貪るような口づけの合間に遊戯が鼻にかかった艶のある喘ぎを漏らす。薄く目を開けて彼の顔を盗み見ると長いまつげが震えていた。
 城之内はコートの裾から手を入れて、遊戯の股間の膨らみに指を伝わせる。店外の空気に晒されて冷えていた指先に触れたそれは、レザーパンツ越しだというのに熱い湿り気を感じさせた。
「だ、めだぜ…あっ、……ん、じょ、の…ち、くん」
 形を確かめる城之内の動きに口づけの合間、遊戯が抗議の声を上げる。だが、肩に回された遊戯の両腕はダッフルコートの布地をきつく握るばかりで、城之内は易々とベルトを緩め直に彼のモノを握り込んだ。
 とたんに遊戯の体が小さく跳ねて、城之内から逃れようと腰を引く。
 城之内は空いている左腕に力を込めて遊戯の体を引き寄せた。
「す…げ、濡れてるぜ…」
 城之内が滑りを借りて先端を弄ると、遊戯は零れそうになった嬌声をかろうじて飲み込んだ。だが、体の反応は隠しようがなく、遊戯は城之内の仕掛けを享受するだけでなく、自分で腰を動かしてきた。
 いくら興奮しているからと言って、彼がここまで余裕がないのは珍しい。彼は城之内とのセックスの合間も、愛しい相棒の体で感じる全ての感覚を記憶しようとしてか、ギリギリのところでリミッターを外さない感じなのだ。
「……もしかしてしばらく抜いてねえ?」
「ん……」
 遊戯は身を震わせながら微かに頷いた。きつく目を閉じ上気した顔には、薄い汗が浮かんでいる。
 思わず城之内は興奮の熱で乾ききった唇を舐めた。手の中にある遊戯の欲望は、限界だと思われるほどに硬く張りつめている。思いついた事を口にしようとすると声がうわずった。
「……飲んでやろうか」
 ひゅっと鋭い音を出して遊戯が息を呑んだ。駄目だと制止の声を出せないのか何度も頭を振る。
「…このままじゃ遊戯も辛いだろ」
「そ、れは…城之内、くんがっ……あうっ…ん、こんなとこでっ」
 遊戯が息も絶え絶えに咎めなくとも、城之内とてさすがにこんな場所でこれ以上は拙いと冷静な部分が働いていた。しかし、思いに反してどちらの手も遊戯の自由を奪ったままで、城之内は目の前にある桃色に熟れた耳朶を銜えた。
「あっ…、城之内…くんっ」
 遊戯は体の細かい震えを止めようとしてか、城之内に強く体を押しつける。だが、元々密着していた上半身は城之内の背中が壁に付いていたので動かない。逃げ腰だった下半身が擦られてお互いの欲望を確認しただけだった。
「あ…」
「…うん。オレもやべぇ…」
 恋人の昂ぶりを我が身で知った遊戯が潤んだ瞳で見上げてくる。
 城之内は彼への奉仕を緩めずに、抱き寄せていた側の手で遊戯の腕を導いた。
「す、げえ……遊戯とやりてぇ…」
 遊戯に握られて、城之内の鼓動が跳ね上がる。ジーンズとシャツの隙間から潜り込んできた遊戯の丸い指先が敏感な先端を摘み、親指の腹で円を描くように回され一瞬足から力が抜けるかと思った。
「城之内くんのも…濡れ濡れだぜ…」
「あっ、バ…か…」
「可愛いぜ城之内くん…」
 彼が翻弄されていたお返しと言わんばかりばかりの含み笑いをする。さっきまで城之内がもたらす快楽に耽っていたのが嘘のようだ。
「可愛いのは遊戯だろ」
 上擦る声で軽口を返し、城之内は攻守逆転のために唇を押しつけた。

「こんなところで盛るとは、ずいぶん躾の悪い犬だな」
 不意の声に城之内は凍りつく。燃え上がっていた体が冷水を浴びせられたように我に返った。最初はいつ誰が現れてもいいように気配を伺っていたのだが、いつの間にかすっかり目先の事に夢中になって忘れていた。何より最悪なのは、嘲りの声には嫌と言うほど聞き覚えがある事だ。
 驚きで声も出せない城之内とは反対に、遊戯はすぐさま身を翻す。まるで海馬の視線から恋人を守るかのように。
 声がした方向を城之内が見上げると、いつからそこにいたのか海馬が階段の踊り場から二人を見下ろしていた。
「海馬、何の用だ。今日はオレ達と会わないように店内へは入らないと、相棒と約束したはずだろう」
「ここは店内ではない。貴様らがオレの視界に入り込んで見たくもない物を見せたのではないか」
 海馬は殊更乱暴に足を踏み降ろした。店内の賑わいが遠くに聞こえる中、革靴が冷たい足音を響かせる。
「むしろ情事の最中を見たのがオレで助かったと感謝するべきではないのか? 犬はともかく、貴様はゲーム好きには名の知れたデュエルキングだと言うのに、こんな――誰が来るとも知れん場所で男と乳繰り合うような恥知らずだと吹聴されては、それこそオレの遊戯まで笑い者になるではないか。貴様は遊戯の体を借りている厄介者なのだという自覚をもっと持つべきだな」
「海馬てめえ! 遊戯は厄介者なんかじゃねぇぞ!」
「城之内くん落ち着いてくれ。海馬はわざとオレ達を怒らせようとしているんだぜ」
 大声や暴力沙汰で人目に触れれば不利なのは二人の方だ。
 遊戯に宥められ渋々ではあるが罵りの言葉を飲み込んだ城之内に当てが外れたのか、海馬は小さく舌打ちした。
「海馬。恩着せがましい事を言うが、お前は最初からここにオレと城之内くんがいるのを知っていたんだろう? そして、気付かれないよう足音を忍ばせて、オレ達の様子を伺いに来た。違うか?」
「何をふざけた事を!」
「店内へは入らないと相棒に約束したお前が、何故非常階段を使う必要がある。仮に用事があったとしても、従業員用のエレベーターがあるだろう。それにお前が声をかけるまで足音は聞こえなかった。そんな革靴じゃ、音を立てないようずいぶん気を遣ったんじゃないのか? KCの社長様ともあろう者が覗き見とはみっともないぜ」
「だ、黙れ!」
 海馬の色白な頬に僅かだが赤みがさした。おそらく遊戯の推測でビンゴだったのだ。
(……すっげえ。さすが遊戯だぜ)
 動揺して挑発に乗りかけた自分とは大違いだと、城之内は遊戯の後ろ姿を見つめた。城之内の位置からは遊戯の表情は見えないのだが、海馬に先程までの余裕が感じられなくなっている事から、遊戯はデュエルと同じ眼光を携えているに違いなかった。
「よりにもよってこのオレを出歯亀扱いか! オレに貴様らの居場所など分かる筈がなかろう! 論点のすり替えとは往生際が悪いぞ遊戯!」
 海馬の反論に遊戯はコートのポケットからカードを取り出した。先程まで店内で威力を発揮してくれたそれは、海馬が恋人にプレゼントした物だ。
「元々このカードはお偉方や取引先への進物の意味と、有力なゲーマーからゲームデータを取るためだと聞いてるぜ。特にこれはお前が相棒のために作ったスペシャルカードだ。紛失や盗難に備えて大方発信器でも付いているんだろうぜ」
「……じゃあ、最初からオレ達は監視されてたって事かよ」
 城之内は慌てて自分に渡されたカードを取り出した。
「犬にくれてやった物などにそんな手間をかけるか!」
 カードを胡散臭げにヒラヒラさせる城之内へ、海馬は忌々しげに吐き捨てた。言葉の裏を返せば遊戯の言ったとおり、遊戯のカードには細工がしてある事になる。
「まぁ、海馬の事だ。オレ達が店外へ出た時から、ここへは誰も来させないように指示したんだろう? いつもながら相棒への心配りは万全だな。オレも海馬に見られたおかげで萎えたし、その意味では感謝するぜ。せっかく長い間我慢してきた分を、こんなところで無駄にしたくないからな」
 遊戯はこれ見よがしに城之内へすり寄ると、妙に意味深な発言をした。
 途端に海馬は身を震わせ音が聞こえそうなほどに歯がみした。何がキーワードなのか分かりかねたが、海馬が本気で悔しがっている事は城之内にも理解できた。
「城之内くんは優しいし、……すごく上手なんだぜ」
「へ?」
(な、何が?)
 慌てふためく城之内に遊戯は媚びた視線を向け、いつもの彼ならあり得ない腕組みまでして抱きついてきた。
「今日は君の誕生日だから、いつもと違う事をして楽しもうぜ城之内くん…」
 甘く囁かれ城之内は竦み上がる。遊戯が海馬の前で秘め事を仄めかすとは予想外な上に、これが単なる惚気とか自慢などではなく、海馬への嫌がらせだと気が付いて冷や汗が出た。
 海馬の視線の矛先は遊戯ばかりか城之内にまで向けられている。突き刺さるような視線は増悪に近い嫉妬だ。普段の方の遊戯が海馬の恋人と分かっていても、まるで彼に恋い焦がれている狂信者かと思うほどの。
 海馬は無言のまま二人の前を通り過ぎ、階段を降り始めた。
 海馬と遊戯の間にあった息苦しいまでの緊張感が消え、城之内はホッと一息吐く。遊戯も海馬が引き下がった事で気が済んだのか、わざとらしく組んでいた腕をほどいた。
 その緩和を見計らったかのように海馬は階下への踊り場で振り返った。
「城之内。そいつはオレの遊戯に恋慕して、現実世界では叶えられない遊戯への情欲を貴様で晴らしているだけなのだ。それを承知で抱いてやっているのなら貴様もたいがいお人好しだな。いや、貴様もそいつの体で吐精出来てお互い様と言うところか。精々利害の一致した者同士で好きにすれば良いわ」
 怒りで城之内の視界が赤く染まる。当事者でない海馬に彼との関係を邪推され揶揄されるとは屈辱だった。
「海馬待ちやがれ!」
 行動に打って出ようとした城之内の体を、遊戯の方が素早く捕まえる。
「やめて城之内くん! 海馬くんもいい加減にしなよ!」
 遊戯の叫びに、城之内は驚いて自分を引き止めた小さな体を確かめた。いつの間にか彼と遊戯は入れ替わり、涙目の遊戯が海馬を睨みつけている。
 一方、遊戯に怒鳴られた海馬は驚愕の表情のまま固まっていたが、気を取り直した途端に階下へ視線を巡らせた。思わず退路を確認してしまうほど、海馬も遊戯が本気で怒っているこの状況を畏れているのが分かった。
「今日は、奴らを二人きりにすると言っていたではないか」
 どうやら海馬はダウンの下に千年パズルがあるとは思っていなかったらしい。
 遊戯は階段をスタスタ降りて海馬と同じ視線の段で立ち止まる。
「あれほど今日は特別な日だから協力してねって頼んだのに酷いぜ! ボクがいないと思ってもう一人のボクを虐めるなんて卑怯だよ!」
「虐められていたのはオレの方だ。奴がこれ見よがしに犬といちゃついていたのをお前も見ていたのだろう」
「最初に君が出歯亀したりするからいけないんだぜ。それよりも城之内くんを犬呼ばわりしないでっていつも言ってるだろ!……どうして君は――」
 声が途切れて遊戯の頭が足下へ向いた。途端に海馬は遊戯までの段差を一跨ぎして、その場に跪く。
「オレが悪かった。泣かないでくれ遊戯。オレはお前を悲しませたくない。オレはいつでも遊戯が笑顔でいてくれる事を願っているのだぞ」
「じゃあ何でボクが嫌がる事をするんだよ…」
「それは…」
 海馬はもはや城之内の事など念頭にないのか必死に弁解した。奴がオレ達の事情を知っていながら見せつけるから許せなかった。城之内を犬と呼ぶのは癖みたいな物なのだ。悪意はない。むしろ愛くるしいニックネームではないか。お前も犬は好きだろう?――等々。
 遊戯の機嫌を取るためになりふり構わない海馬の姿は、滑稽を通り越してむしろ微笑ましほどだ。膝をついて許しを請う海馬など、普段の高慢な言動からは俄に信じられない。
 恋人の前で真摯になる海馬の姿に、城之内は込み上げていた怒りが収まるのを感じた。遊戯との情事を覗かれて肝を冷やしたが、海馬も城之内にこんな姿を見られるのは不本意に違いないと思えたからだ。
 機嫌を直したのか遊戯が海馬に何か囁くと、海馬は褒められた子どものように瞳を輝かせた。
 お互い痛み分けだと割り切れたからかも知れない。
「海馬。カード、サンキュ。遠慮無く一ヶ月使いまくってやるぜ」
 嫌味ではなく、自然に感謝の言葉が出た。
 海馬は一瞬怪訝な顔をしたが、「浮かれて落としても代わりは無いぞ」と憎まれ口を叩いて階下へ姿を消した。
 海馬に手を振って後ろ姿を見送った後、遊戯はすぐに城之内の元まで階段を駆け上がってきた。
「邪魔しちゃってごめんね城之内くん。海馬くんが酷い事言ってごめん。急にもう一人のボクと変わっちゃったからビックリしたよね、ごめ…」
「いいって。謝んなよ遊戯」
 城之内が制止しなければ遊戯はいくつでも原因を見つけては謝罪しただろう。
「でも…」
「それよか海馬が「オレ達の事情」とか「これ見よがし」とか言ってたけど、お前あいつと上手くいってないのか? どう見てもそんな心配はなさそうだったけどよ」
 遊戯は照れくさいのか城之内から視線を外すと早口でまくし立てた。
「今日の事で喧嘩って言うか、まぁ、他にも色々あって、冷却期間て言うの? ここ二週間ばかり会ってなかったんだ。でも電話やメールは毎日してたし…。大体約束破る海馬くんが悪いんだよ。ボクにあんな事させといて――あっ!」
 急に遊戯は口元を押さえ失敗したと言う顔をした。慌てて最後のは聞き流してねと念を押し、ボクが言わなくても城之内くんは分かってくれてると思うけど…と前置きした。
「もう一人のボクは城之内くんの事が大好きだよ…!」
「オレもだぜ」
 城之内はわざと胸を張って見せた。
 途端に遊戯は小さく吹き出し「やっぱりボクも城之内くんが大好きだぜ」と、海馬が聞いたらまた一悶着起こりそうな事を言って彼と入れ替わった。
「あ〜〜なんかエロい気分も吹っ飛んだぜ。遊戯、もっかいライドやろうぜ」
 明らかに気落ちしている彼に、城之内は気分を変えるためにも明るく切り出した。先ほどまで火照って汗をかいた体が冷え込んで、驚きで失われた高ぶりの余韻を惜しむかのようだ。
 店内フロアへのドアを押そうとした城之内の背中に、遊戯はしがみつく。
「遊戯?」
「……すまない城之内くん。オレが迂闊な事をしたせいで君に嫌な思いをさせてしまった…」
「んだよ、水臭ぇな。オレは嫌々お前に襲われてた訳じゃねぇぜ」
「…しかし」
「じゃあ一つお願いがあるんだけど」
「ああ! 何でも言ってくれ城之内くん」
 表情を明るくした遊戯に城之内はそっと耳打ちする。途端に遊戯は耳まで真っ赤になった。確かに「やらせて」とはストレートすぎたかと思ったが、ほんの少し前までセックスと変わらない事に積極的だった彼が恥じらう姿は、一旦収まっていた城之内の欲望を再燃させるに十分だった。
 遊戯は落ち着き無く辺りに視線を巡らせもじもじと身動きし、上擦った声を出した。
「……こ、ここで、かい?」
「へ?」
 一瞬何の事か分からなかった城之内は、なぜ遊戯が挙動不審なのか理解して慌ててしまう。
「ちちちち違う! どっか、――ホテルとか」
「そ!…うだよな。…さすがに……」
 自分の勘違いに恥じ入る遊戯が上目遣いに見上げてくる。その仕草、表情の愛くるしさに、城之内は込み上げる衝動のまま彼を強く抱きしめた。


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■今回で終わらせるつもりが、エロを入れるかどうかで迷ってしまい保留に。また一年ちみちみ書くしか無い感じであります。……年一回なのにこのダメっぷり。社長と闇タマのとこを書くのが凄く楽しかった…v 二人が敵対してる状況が萌えるらしい。20060125