真夜中の恋人たち


  ■4■



「君は誰なんだ。何でボクの部屋に来るんだ。夢なら早く消えてくれ。……お願いだから、いなくなってよ…」
 海馬に会えるのは嬉しい。しかし、これは妄想が見せる夢なのだ。
「……遊戯、お前が望んだのだ。オレに会いたいと。オレはお前に呼ばれてここへ来た。オレは、お前のモノなのだから」
「黙れ! 早く消えろよ偽物!」
 遊戯は枕を掴んで投げつけた。枕は勢いよく目標にヒットして床に跳ね落ちる。
 海馬は衝撃に少しよろめいた。
(海馬くんがそんなこと言う訳ない! ボクの「モノ」だなんて、ホントの海馬くんなら絶対言わない――!)
 海馬は孤高の存在なのだ。その彼に近付き傍にいたいと、遊戯が心秘かに願っていただけだ。
 奔放に身体を開いた海馬は遊戯の願望だ。彼が男を受け入れた経験があり、行為に慣れているなど、侮辱しているに等しい。己の欲望を正当化させるために、海馬を貶めている。
 だが、偽物でもいいから海馬に会いたいと、遊戯は願った。現実世界では決して手に入らない彼が、もう一度得られるのなら。

 遊戯はせめぎ合う葛藤の中で、知らないうちに薄笑いになっていた。
(そうだよ……これは夢なんだ。現実じゃないんなら、何をしようと自由だぜ……!)
 まして、遊戯のモノだと宣言して、怒鳴られ詰られようとここにいる海馬は、遊戯が己の欲望のために作り出した肉体を持つ奴隷――。
 ならば海馬への尽きぬ欲望を、コレで満たさない手はない。
 遊戯の身体はたちまち興奮状態に陥った。反対に頭の隅は冷め、残酷な気分が湧き上がる。
 遊戯はベッドから降り立つと、海馬を突き飛ばした。
「っつ!」
 急に乱暴にされた海馬は、スプリングを軋ませ布団の上に倒れ込む。
「ボクのモノなら何をしてもいいよね?」
「……」
 海馬は否定も肯定もしなかった。しかし、遊戯が海馬にのしかかり、ボタンがはじけ飛ぶほど力任せにパジャマを掴んでも、逃げようとはしなかった。
 遊戯はベッドの上から手を伸ばし、海馬に向けて机のライトをつけた。眩しい光に遊戯は暫く目を閉じる。そろりと瞼を開け海馬を見ると、彼は腕で顔を隠していた。
 遊戯は海馬の腕を掴んで引き剥がす。顔が見たかった。
 海馬は強く眼を閉じたままだった。乱れた前髪の隙間から見える眉は、何かを堪えるように顰められている。色白で作り物めいた顔は、昼間病院で見たモノと同じだった。
「目を開けて」
 遊戯は唸るように声を絞り出す。海馬は言われたとおり遊戯を見上げてきた。
 蒼い瞳が不安げに揺れ動く。
(…これは、ボクのモノ……)
「口開けて」
 遊戯の目的が分かったのか、海馬は自ら赤い舌を出して唇を潤した。青白いとさえ思える白面にその部分が、艶やかな光沢で遊戯に誘いかける。
 既に反り返っている分身を取り出してあてがうと、海馬は素直に先端を口に含んだ。
 伏し目がちな海馬の目元に、長い睫毛の影が出来る。
「ん……」
 海馬は促されるまま遊戯の欲望に舌を這わせ、飲み込んだ。
 薄い唇が歯を立てないように圧力をかけてくる。
「は…」
 遊戯は思わず吐息を漏らす。視覚的興奮が強いせいとは言え、未知の感覚に腰が震えた。
(ホ、ントに、これが、夢?)
 熱く滑った口内に包まれ舌先でくすぐられる。ゾクゾクとした背筋を這い登るモノを堪えられず、遊戯は腰を揺らめかす。
「ぐ、う」
 無理に喉の奥へ入れて激しく動かすと、海馬はえづきそうになりながらも懸命に遊戯の望みを叶えようとする。その眉間には深い皺が刻まれ、きつく閉じられた目元には涙が滲んでいた。

――やめろ――

 どこからともなく聞こえてきた声に、遊戯は一瞬肌が粟立ったが、謎の声を聞いた驚きは、海馬の口内へ欲望を吐き出した快楽に紛れて小さくなった。
 遊戯は柔らかくなった自身を引き出すと、吐き出しきらなかった残りを海馬の顔へ擦り付ける。海馬は咳き込みながらも吐き気を堪え、遊戯が吐き出した物を飲み下す。人形のように整ったその顔は紅潮し、遊戯の体液と涙で汚れていた。
 夢の中とは言え、手の届かない存在であった海馬を自由に出来る暗い喜びに浸りながら、遊戯は頭の隅が酷く冷めているのを感じていた。
 まるで体と心が分離していくような違和感に包まれる。ゾクリと背筋を這い上がった物は快楽ではなく、未知の気配を告げる警報のようだ。
 遊戯は軽く頭を振った。
(これはボクの夢。ボクだけの、海馬くんなんだ)
 自らに言い聞かせ、遊戯は興奮状態の身体とは裏腹な心の中に固い檻を作る。そうしなければ海馬に酷いことをしている自覚があるだけに、後悔に苛まれそうだった。
 ようやく息の落ち着いた海馬を見ると、パジャマの股間は盛り上がっていた。遊戯が手で包むと、そこは見た目よりも確かな質量で存在し、海馬は遊戯の手の動きに短い吐息を付いた。
「……あんな事されても、興奮するんだね」
 遊戯が耳元で揶揄するように囁くと、海馬は一層頬を染め視線を逸らした。しかし、遊戯のじれったい手の動きに我慢出来ず、自分から腰を押しつけ強い刺激を望んでくる。
 遊戯は海馬の望みを知りながら身を引いた。
 海馬が縋るように遊戯を見上げてくる。遊戯は唇の端を吊り上げた。主導権を握っているのは遊戯だ。これは遊戯の夢なのだから。
「海馬くんて自分でする時どうするの? やっぱり後ろに自分の指、入れたりするの?」
 遊戯のからかいを含んだ声を耐えるように、海馬は視線を逸らし身を固くした。
「海馬くんが一人エッチしてるとこ、見たいなぁ……。見せてくれるよね。海馬くんはボクのモノなんだろ?」
 有無を言わさぬ遊戯の口調に、海馬はおずおずとパジャマの中に手を伸ばす。布の下で両手に包みゆるゆると動かす様を見下ろしながら、遊戯は先程聞こえた声のことを考えていた。
 病院や昨日の夜、そしてつい今し方聞こえた声は、遊戯の心にある感情の一部分と同じだった。今まで深く考えようとしなかったのは、どこかで分かっていたせいかもしれない。あれは誰の声でもない、自分自身の声なのだと。
 特別な存在である彼を手に出来れば、二度と失いたくないだろう。まして彼を傷つけたり悲しませたりしたくない。全て遊戯の願いだった。それなのに、今の状況は逆ではないか。
 遊戯が思考に囚われていた間、海馬はいつの間にか自慰行為をやめてもの悲しい瞳で遊戯を見つめていた。遊戯が気が付き意識を海馬に向けると、彼は乱れたパジャマを元に直して呟いた。
「……帰る」
「……帰るって、どこに」
 遊戯は背筋に冷たい物を感じた。今まで己が望んだようにこの夢は進んでいたのだ。こんな続きは望んでいない。
「帰るとこなんか無いくせに!」
(君はボクの妄想じゃないか!)
 遊戯の言葉に海馬は傷ついたのか泣きそうな顔になった。戦慄く唇を噛み締め立ち上がる。
「君はボクのモノだ! どこにも行かせない!」
 遊戯は海馬を抱きすくめベッドへと押し倒す。彼をここで行かせては二度と会えなくなる。恐ろしいほどの確信だった。
 海馬は微弱ながらも抵抗した。遊戯を押しのけどこかへ逃げようとする。
「どうして! どうしてだよ! 君はボクのモノなんだろ? ボクの夢なのに――!」
 遊戯は俯せにした海馬にのしかかり、パジャマのズボンを下着ごと引き剥いた。昨夜一つに繋がって、気持ちを確かめた場所へ己を突き立てる。
 海馬は遊戯の暴力に叫び声も上げず、ただ身を硬くして遊戯を拒んだ。
「……いっ、つ……」
 遊戯は拒まれる苦痛に顔を顰める。
 見下ろした海馬は枕に顔を突っ伏して表情は見えない。だが、細かく震える肩口に彼が泣いているのだと分かって、遊戯も泣きたくなった。
 海馬に受け入れてもらえない痛みは身体だけの物ではない。むしろ心の方が痛いのに、気持ちを裏切り身体は少しでも快楽を得ようと容赦なく海馬を責め立てる。
 無理矢理入れた部分が幾度目かの挿入時に、ヌルリとした感触の体液で摩擦感を減らした。遊戯はその滑りを助けに海馬の内部へ深く入った。
「海馬くん、……海馬くん」
 哀願するように、遊戯は海馬を揺らめかす。
 昨夜は遊戯が動くたび、海馬は熱い吐息を漏らしたのだ。何度も遊戯の名前を呼んで、遊戯を逃したくないと足を絡めてきた。それが今、彼は心から遊戯を拒絶している。
(どうしてどうしてどうして? 君はボクの――)
「海馬くんをいじめるな!」
 不意の声と背後から投げつけられた枕の衝撃に、遊戯は動きを止める。それは今まで何度か聞いた不確かな幻聴ではなく、鼓膜を震わせる肉声だった。
「海馬くんをいじめるな!」
 同じ言葉を繰り返されて、遊戯は緩慢に振り返った。
 そこにいた者は遊戯だった。ただし、我が目にも幼い、おそらく小学五六年生といった年頃の自分自身だ。
 遊戯は余りのことにその場で凍り付く。ドッペルゲンガーを見た者はこんな気持ちになるのだろうか。しかし、これは遊戯の夢だ。
 遊戯には何故という疑問しか頭に浮かばない。
 呆然とする遊戯を涙目で睨み付けている子どもは、今の季節らしからぬ半袖に短パンだった。まるで夏の定番服であるシャツには見覚えがあった。かつて気に入って大事に着ていたイルカのプリントTシャツだ。いつの間にかどこかへ無くなってしまった。何故失ってしまったのだろう。
「……遊戯」
 対峙し合っていた二人の遊戯の均衡が破られる。海馬の小さな声はいつもより別人かと思うほど高く、細い音だった。
「海馬くん!」
 子どもはその声に許しを得たかのようにベッドに駆け寄ってきた。遊戯が茫然としている間にベッドに上がり、海馬を抱きしめる。まるで海馬を守るために現れたのだと言わんばかりの態度に、遊戯は嫉妬と敵対心で怒りが込み上げた。
(海馬くんはボクのモノだ! お前なんかに――)
 そう怒鳴りつけようとして遊戯は驚愕した。子どもに気を取られている間も、海馬の気配は常に傍にあった。にも関わらず、子どもが抱きしめた海馬は、その子どもと釣り合う年頃の姿だった。
 茶色い髪、蒼い瞳、色白の肌、まるで海馬が子どもだった頃はこうだったに違いないと思うような美少年は、同じく子ども時代の遊戯にしか見えない子どもに抱きしめられて安心したのか目を閉じた。その幼い海馬の涙を拭いながら、子どもは怒りに燃えた目で遊戯を睨み付けてくる。
 遊戯には何故海馬が幼い姿になってしまったのか、全く分からない。それまでの海馬が消えて代わりに現れたのかと思ったが、幼い海馬が着ているのはだぶだぶのパジャマだった。小さな手が引き寄せた胸元にはボタンがちぎれた跡がある。何より剥き出しになっている太腿の、内側を汚している暗い色に愕然とした。
 遊戯は己の手にべたつく物を感じた。ゆっくりライトの光の下に広げると、紛れもない血の色で途端に鉄の匂いがした。
「あ……」
 遊戯はブルブル震え出す。少し考えれば分かりそうなことだ。慣らしもせず突き入れたせいで、海馬の内部は傷ついたのだ。
「あ、あああ」
 遊戯は血に濡れた手の平越しに二人の子どもを見た。お互いひしと抱き合い、労るような抱擁を受け入れている、海馬の姿を。
 そこに遊戯が入り込む余地はなかった。非力な者を力で支配し痛めつけた自分を、彼らは許さないだろう。
 遊戯は二人の姿を見ていたくなくて強く目を閉じた。とたんにフラッシュバックして、脳裏に映像が浮かび上がる。

 青い空。
 緑の森。
 原色の花。
 泣いている小さな海馬。
 海馬の涙を拭う幼い指先。その指先が南国の花を一つ摘み取り、海馬の髪へ飾った。
 海馬の唇が名前の形に動く。
 ユウギ。

(ボクじゃない! こんな事は知らない!)
 全く記憶にない映像に遊戯は叫んだ。しかし、声は喉で詰まり音のない絶叫が繰り返される。
 遊戯の意識はそこで途切れた。


 目覚ましの容赦ない音で、遊戯は眠りの縁から突き落とされる。気怠い腕を上げて音を止めたあと、遊戯はのろのろ起き上がりトイレへ向かった。
 生々しい血のにおいが鼻先にまとわりついて、遊戯は僅かばかりの胃液を吐き出した。咽が焼けむせ返る。
 涙目になりながら洗面台で何度もうがいをし、さらに吐いた。何度も水を含み吐いては流していると、口内から気力も流れ出てしまったようで、遊戯はどうにか蛇口だけ締めてその場に座り込む。
 ビシャビシャになったパジャマの袖や胸元もどうでもいい。ただ疲れていた。このままでは己の妄想が見せたはずの夢に、取り殺されてしまう気がした。
 遊戯がぐったり廊下の壁にもたれていると、朝食の用意で既に起きていた母親が、いつもと違う遊戯の様子を見にやって来た。
「遊戯、どうしたの? 気分悪いの? どうせ夜更かしして寝不足なんでしょ」
 咎めるような口調ながら、母親は手を伸ばし俯いたままの遊戯の額に触れる。熱が無いことを確かめた母は、息子の顔色を見て顔を引きつらせた。
「……遊戯、今日は休みなさい。風邪の引き始めかも知れないし、病院行ってきなさい。ね?」
 母の優しい言葉に遊戯は小さく頭を振った。
 昨日のことを城之内に謝らなくては。
 そして二日続きの夢について少しでも、自分なりに納得の出来る答えを見つけたかった。

 

    

■もうお前はエロを書くなと自分で自分を罵るばかり。すでに状況が分かればいいや状態。エロ以外のとこも問題ありですが。