始まりの日



 宿題を多く出された週末は、山本と獄寺がツナの家で勉強会をするのがこの頃の定番。日曜の午前中は野球部の練習があるので、必然的に昼食後のランボやイーピンが昼寝で邪魔をされにくい時間に集まる事になる。
 今日も獄寺はいつものように「これ差し入れっス」と笑顔で季節の果物をツナに差し出し、山本は「オヤジが持ってけって」と寿司折りを渡してきた。
「二人とも、そんなに気を遣わなくていいのに…」
 そうツナが言うと、獄寺は「オレが10代目やお母様に食べて頂きたいんスから遠慮されると悲しいです」と言い、山本は「ツナは場所提供してんだから気楽にもらってくれないと困んだよな〜」と笑う。
 なのでツナは「ありがとう」と二人に礼を言って、それらを母に渡す。そうすると勉強会の途中におやつと称して、冷えたフルーツと寿司にジュースとシュークリーム、「胃もたれしそうな組み合わせなんですけど?」とツナの突っ込みが入るトレイを持ってこられたりするのはいつもの事。
 おやつを食べながら宿題を片づける間、獄寺は些細な事で山本に突っかかり、ツナが止め、山本は「お前はカルシウムが足りねーんだよ」と笑い、獄寺がダイナマイトを取り出して、またツナが止める。そんな事の繰り返し。
 ちょっとは自分で考えないとねと、ツナと山本がうんうん言いながら机に向かっている間、獄寺は特にする事が無くて窓際でたばこを吸う。
 そんな何もかもがいつもの、日曜日。
 いつの間にか3人で集まり、バカを言って笑い合う、それがごく当たり前に感じてきたこの頃、ツナは獄寺を怖いと思わなくなっていた。
 もちろん急に大声を出されて鋭く睨まれたり(本人は気合いを入れてるに過ぎない)、ダイナマイトを持ち出されたり、周りに喧嘩を売ったり、ランボを本気で締め上げたり、マフィアならではの物騒な話をケロッと話されたり、そんなときは困ったり焦ったり泣きそうになったりもするけれど、根本的に獄寺には悪気が無くてむしろツナのためにいつも一生懸命なのだと分かってしまったので、ツナは獄寺が昔のように苦手ではなくなった。
 誰にも言ってはいないけれど、これは結構すごい事だった。
 しかも今日、ツナは数学の問題を解きながら視界の端に獄寺の姿をとらえるたび、「獄寺君のたばこを吸う仕草ってかっこいいなぁ」なんて思ったりした。
 こんな事は誰にも言えない。恥ずかしいし、人にばれたらなんだかやばい気がする。
 どうにかこうにか宿題の山をやり終えて、残り少ない日曜日を有意義に使おうと玄関先でお互いに手を振り合う。
 山本はそのまま家に帰り、ツナはコンビニに行く用事のついでに獄寺と夕焼けの町並みを一緒に歩いた。
「今日は色々ありがとうね獄寺君」
「いえいえとんでもないっス。じゃあオレはここで失礼します。……あの、日が長くなってきたとは言え夕暮れ時は危ないので、10代目、お帰りの祭はくれぐれも気を付けて下さい!」
「こんな気持ちいい夕焼け空でそんな事言われる方が逆に怖いんだけど!」
「はい! 油断は禁物です10代目!」
 ツナの突っ込みは清々しいほど獄寺には届かない。
 それも結局いつもの事。

 コンビニに入って、ツナはまず雑誌の棚に寄る。昨日発売だったゲーム雑誌を立ち読みするためだ。今やってるRPGはまだ攻略本が出ていないので、こうして雑誌の情報をチェックしないとなかなか先に進めない。
 へぇ、こんなとこにこんな隠しアイテムが。ああ。このイベント、まずあそこに行っておかないとダメなんだ。
 勉強と違ってゲームの新しい情報ならいくつでも覚えられるのは何故だろう。
 それからしばらくマンガ雑誌を読んで、ちょっと躊躇してグラビアアイドル満載な雑誌も手に取ってみた。だけど、奥手なツナにとっては水着写真でもなかなか直視できない。第一そんな雑誌を見てるところを誰かに見られる方が恥ずかしい。
 だから水着の写真なんかぬるすぎて興味ないねという顔で棚に戻し、お菓子のコーナーに向かう。新発売の限定スナックをカゴに入れ、ちょっと迷ってからランボ用のアメとイーピン用の焼き栗(剥いてるやつ)も入れて、最後にドリンクの前であれこれ悩んでいつも飲んでるメーカーのジュースを取った。
 コンビニを出ると夕日は沈んだものの、辺りは暖かい色味に満ちていた。幻想的で懐かしい、不思議な色の街。
 ツナは家に帰りながら歌を口ずさむ。今ちょうど流行ってる歌だ。サビのところがコマーシャルにも使われている。覚えやすくて忘れにくいメロディーは、花の名前のリフレイン。
 ただいまと玄関のドアを開けると、奥の台所からお帰りなさいと母の声がした。
「もうすぐご飯出来るから」
 分かったと答えてツナは二階へ上がる。その間に漂ってきた香ばしい匂いはハンバーグ。
 自分の部屋に戻ると誰もいないそこはとても静かだ。ほんの三十分前ぐらいには獄寺と山本がいて、昼寝が終わって遊びに来たランボが混じって大変な騒ぎになっていた。それが宿題を終わらせてまったりしていた集まりが終わる合図。
 混乱のあと適当に物を片づけて、適当すぎて乱雑なままの部屋。重ねたノートと教科書に、床に落ちて転がったシャーペン。読みかけのマンガに出しっぱなしが当たり前のゲーム機。中身がどこかに行ったソフトのケースに説明書。
 ベッドに脱いでおいたシャツがいつの間にか床にずり落ちている。
 ツナはそれを拾おうとかがみ込み、一瞬、獄寺のたばこの匂いを感じた。
 そんな訳がない。
 獄寺がいたのは三十分も前で、獄寺は窓際で窓を開けてたばこを吸って、吸い殻は携帯している吸い殻入れにきちんと入れていた。窓は獄寺が開けてからそのままになっている。
 まさかと思いながら拾い上げたシャツを鼻先に持ってくると、嗅ぎ慣れた自分の匂いだけがした。
「……窓、閉めとこ」
 独り言を言って窓際によると、自然と家の前の道が目に入る。昔獄寺が登校するツナを待ち伏せていた事がある斜め向かいの鈴木さんの家。その前の道をよく知っている後ろ姿が歩いていた。
「獄寺君…?」
 銀色の髪、派手な柄だけど落ち着いたバランスの青いシャツ、わざと腰履きにした緩いジーンズに、手首に巻かれたリストバンドは今日初めて見た物と同じタイプ。獄寺がたばこを吸っていた時に銀の金具が光っていた。
 今頃何でそんなとこ歩いてんだ?
 疑問に思いつつ見て見ぬふりをしなくてはならない理由もないので、ツナは声をかけようと窓辺に乗り出した。それと同じタイミングで獄寺が振り返り、ツナは自宅の二階で、獄寺は離れた通りの道で、バッチリお互い視線が合った。
 ツナの姿を視界に入れた獄寺は、遠目で見てもハッキリ分かるほどに驚いていた。目がまん丸になって口もぽかんと開けられて、ツナはおかしいやらかわいいと思うやら、ほんの数秒の事だが心温まる気持ちになった。それなのに獄寺は見る間に顔色を変えて、脱兎の如く駆けだした。
 何それ。
 何で君逃げてんの?
「獄寺く――んどうしたの――? 忘れ物――?」
 自宅に帰ったはずの獄寺がツナの家の周りを歩いてる理由なんて、ツナにはそのくらいしか思いつかない。ツナの声が聞こえたらしい獄寺は、まるでマンガみたいに走ってる途中の姿勢でピタリと固まってしまった。
 どう見てもギャグだ。
「ちょっとそこで待ってて――」
 そう告げて一応部屋の中を見回し、どたどた階段を下りる。さっき脱いで逆向きになっているスニーカーへ体を合わせて足を突っ込んで、もしかしてもういないかなとちょっと不安を感じつつ表に出ると、獄寺は最後に見た姿勢のまま止まっていた。
 だから何でそのまんまなの?
 ツナはくすくす笑いを我慢できず顔をほころばせながら獄寺に駆け寄った。
 獄寺君ておもしろい。
 自然と声も弾んだ。
「獄寺君。引き止めてゴメンね。でもオレが声をかけたら急に走り出しちゃうんだもん。ビックリするじゃん。――忘れ物でもした?」
 獄寺の顔の前に回ってツナが小首を傾げると、獄寺は真っ赤になってやっと走ってる途中の体をシャキッと伸ばした。
「いいいいいえあああの、そうですちょっと忘れ物を」
「何忘れたの? さっき出てくる時に一応見回してみたけど、気が付かなかったよ」
 ツナの言葉に獄寺は顔に汗を浮かべ、視線をぐるぐる彷徨わせた。
 なんて分かりやすいリアクション。
 伊達に長い付き合いじゃない。こんな時は無理に追求しない方がいい。どうせ彼はツナがほっといても勝手にツナの思考を先読みして、しかもそれは大抵読み間違えていて、いつも何でそんな事と言うくらい変なところに結論を出してしまう。
 今日もやっぱり。
「申し訳ありません!」
 獄寺はツナが止める間もなくその場に潔く土下座した。
「やめて――! やめてよ獄寺君!」
 幾ら日曜の住宅街だからと言っても人通りはちらほらある訳で。あらまぁまた沢田さんちの…なんて視線で見られたら、いつもの事だとしてもかなり恥ずかしい。
 謝り足りないらしい獄寺を無理矢理立ち上がらせて、ついでにジーンズの泥も払ってあげて、もう一度聞いてみる。
「正直にホントの事言ってくれる? 何してたの獄寺君」
 それでやっと獄寺は、観念したのかぽそぽそ喋りだした。
「オレ……10代目とお別れしたあと家に帰ってたんですが…」
「うん」
「途中でやっぱり10代目が気になりまして。だって夕暮れ時ですし。コンビニは不良どもがたむろする定番スポットですし。万が一にでも10代目に危険があってはいけないので、お帰りになるまでお見守りしようと……」
「オレがコンビニから家に帰るまでどっかから見てたんだ」
「……はい。申し訳ありません。決して10代目が弱いとか悪党どもに負けるとか見くびっている訳ではなくてですね、」
「謝らなくていいけど。何で逃げようとしたの?」
「それは……」
 獄寺はもじもじと言いよどみ、ツナは気長く待った。
「……10代目が家に入られたのを見届けて帰ろうとしたらですね。10代目のお部屋の窓が開いたままなのに気が付きまして。そのうち多分10代目が閉められるんだろうなぁと思ったら、その時にもう一度10代目のお姿が見られると思い待ってたんです。だけどこの道から見てたら、10代目はオレに気が付かれるでしょう? そうすると絶対不審がられると思いまして。もう少し離れた、オレからは見えるけど10代目からは分かりにくい場所まで移動しておこうと、歩いていたら…」
「そしたらオレが先に獄寺君に気が付いて、振り返った君と目が合った」
「……そうです。ストーカーみたいな、気持ち悪い事して申し訳ありません」
「……」
 獄寺はひたすらもじもじビクビクとツナの反応を恐れている。確かに帰ったと思っていた獄寺に、コンビニで延々立ち読みしていた所や、何を買うかあれこれ悩んでいた所や、歌を歌いながらの帰り道で楽しくなってろくに覚えていないサビ以外の歌詞を適当に歌っていた所を、全部見られていたのかと思うとちょっと、いや、かなり恥ずかしい。
 だけど、ツナは気持ち悪いとは思わなかった。むしろうれしい気持ちでドキドキしたのだ。
 何故なら獄寺はこのストーカーまがいの行動を、ツナに知られるのを恐れていた。獄寺本人が気持ち悪い事と認識していて、それでもそうせずにはいられなかったなんて珍しい。
 彼はいつだってツナの部下という立場を忘れない。ツナのために起こした行動を恥じる事も後悔する事もない。むしろ部下の務めと胸を張る。今日の事も、獄寺が部下として護衛の意味で見ていたのなら、もっと堂々としている筈だ。
 だから今日の行動はいつものような部下としてではない獄寺の気持ち。
 もう一度姿を見るまで待っていようなんて。もしツナが閉めるのを忘れて夕飯を食べて、居間でTVを見てお風呂に入りなさいと急かされて、渋々自分の部屋に戻ってやっと窓開けっ放しだったよなんて閉じるかもしれないのに。それまで獄寺は待つつもりだったのか。
 多分待つんだろう。
 もしくは夜空の星が見える頃、こんなにまで窓が開いたままなんておかしい。もしや10代目に何か危機が? 大丈夫ですか10代目ぇ! なんて駆け込んでくるかもしれない。
 あくまで仮の話だが、獄寺ならあり得そうな気がするのだ。
 そう思うと、なんだか嬉しい。
 気恥ずかしくてドキドキして、だけど全然嫌じゃないこの感じは――。
 恋。に似ている。
 オレ……獄寺君が好きなのかなぁ。
 ツナが黙って見つめるから、獄寺の顔が真っ赤からどんどん蒼白になって、涙目になったかと思えばブルブル体を震わせてもう一度謝ろうとしたから、ツナは怒ってないよと優しい声を出した。
 その途端ぱあっと光が差し込んだように笑顔になる獄寺がかわいくて、ツナは痺れるような甘い感情に包まれる。
 獄寺君はかわいい。
 獄寺君はおもしろい。
 獄寺君は物好きだ。オレを好きだなんて。こんなに分かりやすく教えてくれる人なんて、家族以外で初めてだよ。
 ツナはそっと獄寺の腕を掴み自分の家へ歩き出す。薄暗くなってきた世界に頬の熱さを誤魔化せると思いながら。
「もう遅いし、晩ご飯食べていきなよ」
「いいいいいいえ。そんなご迷惑はっ」
「急に人数が増えたって母さんは迷惑なんて思わないよ。むしろ大勢で楽しいわって言うよ。今日はハンバーグなんだ。多分オレと半分こになっちゃうけど、それ以外なら普通に食べられると思うから、獄寺君の迷惑じゃなかったら食べてって」
「迷惑だなんてとんでもありません!」
「じゃあ決まり」
 予想できた獄寺の言葉。思った通りの母親の笑顔。外れたのはハンバーグが余分に作られていた事。ツッ君の明日のお弁当分だけどいいわよね。母からこっそり耳打ちされてツナが不満を言うはずがなかった。
 ランボにちょっかいを出されて手を出すのを堪えるあまり、頭の血管から血が噴き出しそうな獄寺をなだめてみんなで手を合わせたら、夕食は外で済ませたものの早く帰ってきたビアンキを見て(リボーンとデートだった)獄寺がひっくり返ったのも、まぁ、いつもの事。
 倒れた獄寺をツナの部屋に運び介抱して、獄寺の気分が良くなってから遅い夕食を二人で食べた。
「せっかくお誘い下さったのにみっともないところをお見せしてすみません。10代目、お待ちにならず先に召し下がって下さって良かったのに。……でも10代目と一緒に夕食が食えるなんて嬉しいです…」
 そんな事を味への賞賛と一緒にたくさん言われて、ツナは胸が苦しくなった。
 獄寺君はオレを殺す気なのか。
 夕食後、獄寺は「ごちそうさまでした、また明日の朝お迎えに上がります。じゃあ、今度こそホントに失礼します。お休みなさい」そうニカッと笑って帰って行った。
 それはしょっちゅうではないけど、いつもの事。
 いつもとちょっと違っていたのは、ツナが獄寺の帰る姿を見送った事。二階の自分の部屋から、昼間獄寺がたばこを吸っていた時のように窓の縁に腰をかけて、小さくなる後ろ姿を見つめ続けていた。
 そして少しだけ、獄寺に引き合わせてくれた運命みたいな物に感謝した。
 いつもと同じだけど、ちょっとだけ違う日曜日。
 ツナが初めて獄寺に恋心を自覚したその日、獄寺も一人きりの帰り道で、部下としてあるまじき感情をツナに持っている事に気が付いていた。
 二人のささやかで大きな変化は、いつもと同じで少しだけ違う、毎日の始まりになった。

    



□初めて書いた獄ツナ。ありがちな話だけど楽しかったです。特に獄が逃げ出してからが。
□20060917 無料配布本